静物画を味わいつくす
今日、7月2日から国立新美術館で「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」が開催されているが、それに先立って1日のプレスプレビューに参加させていただいた。
最初に監修者でウィーン美術史美術館副館長のカール・シュッツ氏から、展覧会の特徴である静物画の成立過程、静物画(Still-Life)という言葉の意味、静物画におけるリアリティとトロンプ・ルイユ、さらに重要なポイントである静物画とヴァニタス(vanitas 虚栄、この世の儚さ)についてのお話があった。
日本側の監修者の木島俊介氏によると、このような静物画をメインにした大規模な展覧会は今までになく、シュッツ氏と8年間の交渉の末、やっと本展覧会が開催されることになった、とおっしゃっていた。
さて、いざ会場に入ると華やかなムードでワクワク。
まず印象的だったのはこの絵。アントニオ・デ・ペレダ《静物:虚栄(ヴァニタス)》
意味のないものは描かれてないといっていいほど、全てのものに意味があるそうだ。
美しい天使が示す地球儀の上にあるのは、世界の皇帝と言われたカール5世の肖像が描かれたカメオ。コインや宝石、ミニアチュールの美しい婦人などは現世での富や美しさ、ハプスブルグ家の栄光を表わしている。
しかしそれらは、消えた蝋燭、骸骨、砂時計に象徴されるように全ては虚しいものだというのがこの静物画の意味。ストレートで分かりやすい表現だけにインパクトがある。
右側の輝かしい現世のテーブルから、左側の虚無のテーブルにイコール(=)で渡されたような構図が面白いと思った。
この絵画を所有していたのはハプスブルグ家で、いわば自身を否定するような絵画を所有していたことが興味深い、と木島氏がお話されていたのがとても印象的に残った。
静物画がもっとも盛んだったのは17世紀のネーデルラントで、花や果物、食器、楽器など、技巧をつくして描き分けた作品は見る者を圧倒する力があった。
花束画は、個々の花を正確に描写し、画面上で理想的な架空の花束を作っているところが面白いと思う。
会場には《青い花瓶の花束》に描かれた花の名前が示されていて、花好きには楽しい確認作業ができるようになっていた。
また、木島氏のお話によると、当時の油絵は乾くのにも時間がかかり、沢山の種類の花を描き加えていく花の絵は、完成するのにとても時間がかかるそうで、ブリューゲルは風景画を描いた方がお金になる。というようなことを言っていたそうだ。
様々な季節の花をスケッチし、それを一つの画面で組み合わせて完成させるので、なるほど季節感というものが感じられないのも頷ける。そもそも季節感を味わう意図はなさそうにみえる。
花鳥風月こそ季節感や風流を感じるものと思っている日本人からすると、この花束はいかにも人工的に作り上げた美しさに思えた。
よく花の絵に虫が描かれているのを見るが、芋虫→蛹→蝶というのは現世の生活→死→復活を表していると何かの本で読んだことがある。しばしば枯れた花も描き込まれることがあり、それは美しい花も儚い命だと語っている。
何とも人間的な花の絵だなぁと思う‥‥。
シュッツ氏はいくつかの作品のミニ解説会をしてくださった。
この絵はルーベンスが二人の画家に協力を依頼して共同制作で描いたそうだ。
オナガザルと果物、背景はそれぞれ別の画家によるもので、近くで見ると筆致が異なるのが分かるとのこと。
ベラスケスの《薔薇色の衣裳のマルガリータ王女》は初々しく可愛らしい。マルガリータ王女3歳の時の姿だ。
顔の繊細なタッチと対照的に、テーブルの上の花は細部の説明に拘ることなく、ラフなタッチで最大限の魅力を発揮しているのが素晴らしい。
シュッツ氏によるとこの作品に描かれている花は「ヴァニタス」の系譜ではなく、後のマネや印象派の静物画に連なるものであり、その意味でこの展覧会のために厳選した静物画75点に含まれている、とのことだった。
プレスプレヴューは短い時間だったが、充実した時間を過ごすことができた。
でも、是非もう一度、ゆっくり鑑賞するために足を運びたいと思う。
最後に、いつも詳細かつバラエティ豊かな美術評を書かれるTakさん、プレビュー参加へのお声を掛けていただき、本当に有り難うございました。
「ウィーン美術史美術館所蔵 静物画の秘密展」