遺体科学は凄い!

解剖男 (講談社現代新書)

『解剖男』 遠藤秀紀 (講談社現代新書)

人間同士のゴタゴタにも飽きたので、気分一新。

日々動物の遺体と格闘し、仕事への誇りと使命感みなぎる遠藤秀紀氏を読んでみた。

なんと満員の通勤電車の中で解剖に熱中しているという。

頭の中で解剖を進める私を支えてくれるのは、動物遺体に接した経験の量、脊椎動物の五億年の進化を俯瞰できる論理性、そして、機械を設計する人にも通じるかもしれない「形」を評するセンスだ。これらが揃ってくれば、私は、幅三メートルの揺れる直方体の中でも、あらゆる動物たちの形を、メスで開きながら再現しようと挑むことができる。想起を時々刻々繰り返すことで、遺体を見る目が養われるのだ。(p14)

と言う。のっけからこれぞプロフェッショナルという感じだ。

遺体を「硬い遺体」(骨)と「軟らかい遺体」(筋肉や内臓など)に分けて話を進めるが、やはり骨は一目置かれる存在で、重要視されているという。その理由はというと、

1、その動物の歴史をかなり正確に知ることができる(系統)

2、動物の形がライフスタイルによって変化したことが分かる(適応)

3、骨が丈夫な物体である(化石、計測が容易、誤差が少ないなど)

4、生物としての情報が凝縮されている(年齢、性別など)

思い出すのは、漠然と見ていた理科室や博物館の骨格標本。う~ん、これからはもっと心して見てみよう。

系統ということで興味深かったのが、哺乳類の首の骨、頸椎の数。キリンの首も7本、ヒトの首も7本。鳥などは種類によっていくらでも数は変わるそうだが、哺乳類はごく一部を除いて、7という数に固定しているのだそうだ。

骨を見る私たちは、少なくとも形の専門家としては、つねに系統か適応かの、どちらかをターゲットにしている。骨を見る人間が意識するのは、形はつねに「系統=歴史からの制約」と「適応=生きるための回答」を併せもっている、ということだ。(p132)

何となく全ての骨がいとおしく、大切に思えてくるではないか。いや、骨をもつ生命がいとおしい、といった方が良いのかな。

しかし、第五章の「消えた解剖学」では解剖学、動物遺体をめぐる環境がかなり厳しいものであることが語られる。

「解剖学など古くて陳腐な学問だ」

「古い学者たちがうるさいから、表向き骨格標本を大事にする振りをしよう」

「解剖学などを看板にして、金を稼がない教授など大学には必要ない」

などは解剖学者自身から発せられた言葉だそうで、事態は大変深刻なようだ。

遠藤氏が提唱するのは「遺体科学」だ。それは知の泉である遺体を研究し、新たな発見をし、さらにそれを博物館や大学を舞台に未来に残して、人類の文化に貢献していくことだという。

「遺体科学は、現物の力を無二の源泉とする。」とあった。

実際に血みどろになりながら遺体に取り組んでいる学者の、なんと重みのある誠実な言葉ではありませんか。