中年は再スタート

中年以後

『中年以後』 曽野綾子 (光文社)

中年にまつわるあれこれにピシッとケジメをつけたようなエッセイ。

つまり私たちは誰もが、子供の時や青春時代の不幸や歪みの影響を受け、傷ついて育つのだが、その毒を自ら晒し、棄てて、本来の自分に還ることができるのが中年以後、ということなのである。その点で、中年以後というのは、出自の部分で受けた毒気を自ら抜くことに成功した素晴らしい時期だと言える。(p21~22)

私自身の現在について、成功した素晴らしい時期などと胸を張って言えるかどうかは分からないが、中年以後というのは「もう誰のせいにもできない時期」と言わざるを得ない。

よく定年以後を第二の人生と言うが、本当は第二の人生は中年以後なのだろう。

親から切り離され、子供もある程度自立した時期、両方からちょうど中間にあるのが中年といえるのかもしれない。

けれど、精神的には親のしがらみを脱したとしても、現実的には親の老いの問題は残るし、子供は自立して出て行くといっても心配がなくなるわけでもない。

精神的に独立した上で、やるべきことが増えた時期とも言えるだろう。

中年は親と子の中間で、自己の道を歩み始めるときであっても、親と子の二つの問題を抱えながらの再スタートでもあるな、と思った。

著者は、人生は少しずつ完成し、完成は中年以後にやっとやってくるものだと言う。

そのからくりを、私は感謝したい。完成が遅くに来るのは、人生が「生きるに価するものだった」と人が言えるように、その過程を緩やかに味わうことができるようにするためであろう。早く完成すれば、死ぬまでが手持ち無沙汰になってしまう。(p241)

厳しい女史のお言葉が続くエッセイだったが、これはなんと温かいお言葉かとホッとした。

でも考えてみると、死ぬまで手持ち無沙汰にならない精神と肉体というのは、そうそう簡単ではないだろう。