ジェラシーの海

神と資本と女性―日本列島史の闇と光

「神と資本と女性 日本列島史の闇と光」 網野善彦・宮田登 (新書館)

対談形式の本。

タイトルが示す内容は、前に読んだ「日本の歴史を読みなおす」にも書かれていて興味を持ったところだ。

もともと寺院と言うのは、宗教上の精神的は救済だけでなく、経済的な救済を大きな活動目標にしていたという。

兎角精神的な崇高さばかりを、宗教に求めがちだが、その昔はもっと身近に頼れる存在であったようだ。

「銭」も神仏も神聖なものであって、それに関わるものもまた特別な存在であり、中世の比叡山延暦寺の山僧、日吉神人(ひえじにん)は、金融業者で、そのネットワークは大きなものであったようだ。

唐突だが、「へそくり」っていうのは、へその緒でくくれるくらい小さな箱ということらしい。

知らなかった~、前から何で臍なのか?と思っていたワ。

もう一つ「父親は何人もいた」というのが興味深かった。

古代は親といえば母親で、民俗学からいえば父が親を代表するようになったのは、江戸中期以降ということだ。

父親というのは、公的な存在として子供に影響を与えるものであって、例えば、名付親、えぼし親、若者組の宿親など、複数の親がいたそうだ。

なるほど、今でも父親は外の世界との接点、社会的な存在としてあって欲しいものだと思う。

一家に二人の母親的存在は「百害あって一利なし」だと、あらためて教えられたような気がした。

良い意味で、子供が社会に共通の財産であったことや、「七歳までは神の子」といった子供を特別な存在、神性を認めることなどが、煮詰まった核家族の悲劇を生まない背景だったように思った。

マルクスが好んだという『ファウスト』の中にある言葉を紹介していて、それがとてもよかった。

「なべて理論は灰色、ただ緑なす現実こそ豊かなれ」

また、両氏は研究者たちや学派についての話も多く、たしか別の本で黒田日出男も「研究自体もさることながら、研究者史が面白い」というようなことを言っていたっけ。やっぱり面白いのは「人間」でしょうかね。

そんな流れで「学会は、ジェラシーの海」という言葉があって、妙に生々しく、オソロシイナ、と思った。