屏風百景

フェルメールを見終えてから、サントリー美術館の「BIOMBO/屏風 日本の美」を見にいった。

同館が赤坂見附からこちらに移転してから初めて行くが、徒歩圏内の国立新美術館、サントリー美術館、森美術館で六本木アート・トライアングルというそうだ。

一つの美術館の半券で、他の二つの美術館のチケットが割引になるとの事。フェルメール→BIOMBOは100円引きに(ホンの気持ちですが)

BIOMBO(ビオンボ)は、ポルトガルやスペインで屏風をさす言葉だそうで、南蛮貿易が盛んだったことを物語っている。バテレン、ビードロと同様に古の異国情緒を感じる言葉だ。

館内に入ると、照明が作品保護のために暗くしてあるのだが、とても落ち着く暗さでホッとした。

もともと金屏風は日本家屋の陰翳の中にあった。だから金でもギラギラすることなく、障子越しの光を集めて美しい‥‥てなことを谷崎の『陰翳礼賛』でも言っていた。

沢山の人々が描かれている祭礼図や洛中洛外図を見るのが好きだ。ワクワクしながら必需品のギャラリースコープを取り出し、あちらこちらを見てみる。

老若男女、身分、服装、髪型、被り物、しぐさ、小動物、売り物、乗り物、建物、事件事故等々、レンズを通して人々の会話が聞こえてくるような感じがする。

何か面白い場面を見つけたときは、ちょっと得をした気分になるもんだ。

こういう絵には、解き明かされていない謎や暗号がきっとあるに違いない!?何てワンダーランドな絵画なんだろう。

そのうち誰かが『洛中洛外図殺人事件』なんてのを書いてくれないかと、期待しているんだけど。

世界地図を描いた屏風、阿国歌舞伎、賀茂競馬(くらべうま)など、興味深い内容が描かれたものが目白押しだったが、今回一番衝撃的だったのは、「白絵屏風(しろえびょうぶ)」だった。

白絵屏風や白綾屏風は、出産のときに用いられた屏風だ。出産に際して、邪気を祓う為に白い装束をまとったり、白絵屏風を置くなど、清浄な「白」を基調とした異空間が作られていたという。

展示されていた屏風の中にも、白絵屏風が描きこまれたものがあった。

《栄華物語図屏風 部分》

《東照宮縁起絵巻 部分》

上記のように屏風や絵巻物の画中画で見られるものの、実物は希少。知られているのは京都府立総合資料館本(今回展示)と京都・般船三昧院本だけとの事だ。(~本というのは~バージョンといった感じ)

《白絵屏風 部分》

実際、この屏風の前に立ったとき、一種異様な恐さを感じた。

清浄な白、無垢な白、それによって悪霊や邪気を祓ういうのは理解できるが、私にはこの屏風自体が、あの世の風景に見えた。

昔は出産直後に亡くなる母親や、生まれて間もなく亡くなる子が、今よりずっと多かったことだろう。

もしかしたら瀕死の母親には、周りに美しいあの世の広がっているようにも見えたのではないだろうか。

そうして死んだ母親の魂が、この屏風にいくつも吸い込まれているような気がした‥‥。

白は不思議な色だ。生命の光の白もある、死んで灰や骨になる白もある。この白絵屏風は出産という生と死が混沌とした場面にあって、両義的な白を感じるような気がした。

屏風が出産に限らず人生の儀式に使われてきたのは、結婚式などでお馴染みのこと。

江戸時代、長崎の絵師、川原慶賀らによって描かれた《人の一生図》は、それを端的に表していて興味深かった。

以前読んだ『みちのくの人形たち』に書かれていた「逆さ屏風」が正に画中にあって、本当に行われていたのだなぁと納得した。

《死去 部分》

《湯灌 部分》

この場合、屏風の種類に関係なく逆さに立てられていたことが分かる。

死者と生者、日常と非日常、ハレとケをはっきりと区別するために逆さに立てる。実に簡潔明瞭。

屏風が美術品として鑑賞されるばかりでなく、心の切り替えや整理をするサインとして使われていたことに、屏風と日本人の関わりの深さを感じた。

展示替えが多くあって、見損ねた作品も多かった。もう少し早く行っていたらどうにか出来たのに、終わってしまったのが残念だ。

次の「鳥獣戯画がやってきた!」も面白そう。

サントリー美術館「BIOMBO/屏風 日本の美 」

http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/07vol03biombo/index.html