歴史の陰に「ヒ」あり
『産霊山秘録(むすびのやまひろく)』 半村良 (角川文庫)
半村良の傑作伝奇ロマン小説。
ヒ一族(ヒいちぞく)は高皇産霊神(タカミムスビ)の裔で、かつては皇室をしのぐ地位にあったという。
ヒは異能者・超能力者で、彼らが集まる秘密の場所は神籬(ひもろぎ)といい、日本各地にあった。
そこには三種の神器、御鏡・依玉・伊吹があって、彼らはそれらに囲まれて行き先を念じると、白銀の矢となって神籬から神籬へテレポートすることができた。
時代が下ってヒ一族は、天皇制を存続させるための勅忍となった。政治の変革期や危機に際し必ずその超能力を生かし、常に時の権力者と関わりを持つ存在となっていった‥‥。
「本能寺の変」や「関が原の戦い」においても、ヒ一族は重要な役割を果たした。
なんと明智光秀、山内一豊、藤堂高虎、天海上人らもヒ一族なのだ。さらには鼠小僧次郎吉、坂本龍馬など驚きのメンバーが揃う。
脈々と流れるヒ一族の血。しかし、ヒの女はみな悲しい奇形だというのが辛い。
霊力を持ちながらもノッペラボウで、日の光もどんな衣も受け付けない特異体質。地底深くオシラサマとして白い霞のように生きている。
馬鹿馬鹿しいほど有りえないことばかり、といえばそれまでだが、どこか歴史の裏側にはこんなこともあったのではないだろうかと思わせる。
歴史的事実の認識も実は危ういもので、真相は闇に埋もれたということもあるだろう。
地と図が逆転するように、見えなかったものが見えることもある。
ヒが恐れているのはテレポートの失敗「空わたり」。念じる場所が定かでない場合、結果はとんでもないことになる。
飛稚(随風=天海上人の息子)は叡山焼討ちの業火の中「空わたり」して、昭和20年の東京へ。またもや空襲の炎に包まれることとなった。
その飛稚(とびわか)が、戦中戦後の混乱期を逞しく生き延びて、話は現代へと続いていくのだが‥‥。
「ヒ」とはいったい何なのだろう。歴史の表舞台にはけして姿を現さないもの、名もなき人々のダイナミズム。そのようなものを「ヒ」は代弁しているようにも思えた。
奇想天外この上ないが、月の美しい秋の夜に、楽しい本かもしれない。
あろうことか、アポロの宇宙飛行士が月面で発見したのは、ヒの干乾びた死骸だった。というのだから。