蓼食う虫は案外多い

蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか―日本人の暮らしと身近な植物

『蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか』 稲垣栄洋/著 三上修/絵 (草思社)

 

副題に「日本人の暮らしと身近な植物」とある。

考えてみると植物は実利的な衣食住にとどまらず、宗教や芸術やあらゆる面で人間の暮らしに不可欠なものだなぁと思う。

普段何気なく見過ごしている植物と暮らしの関わりも、意味や由来を知ると目から鱗。合点がいったリ、感動したり。本書はそんな面白くて為になる植物の話が一杯だ。

さて、表題の「蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか」

唱歌の「ちょうちょう」から私が思い浮かべるのは、陽光きらめく黄色い菜の花畑。

そこかしこにモンシロチョウがひらひら、背景には薄ピンクの桜‥‥っていうステレオタイプな映像だ。

クローズアップして、モンシロチョウと葉の関係に関心がいくことはなかった。

言われてみれば、どうして桜は花なのに、菜の花は葉なのだろう?

 ちょうちょう ちょうちょう

 菜の葉にとまれ

 菜の葉にあいたら 桜にとまれ

 桜の花の 花から花へ 

 とまれよ 遊べ 遊べよとまれ

 

結論から言えば、それはモンシロチョウが産卵のために葉から葉へと飛び回っている様子を描写したものだから、という事だ。

「ちょうちょう」は、スペイン民謡に国学者の野村秋足が、尾張地方のわらべ唄を元に作ったものだそうだ。

 蝶々とまれ

 菜の葉にとまれ

 菜の葉がいやなら

 この葉にとまれ

わらべ唄の歌詞には花が出てこない。昔の人はよく見ていたなぁと思う。

実はモンシロチョウは意味なく葉から葉へと飛び回っているわけではない。

モンシロチョウの幼虫はアブラナ科の植物しか食べることが出来ないそうで、親であるチョウは葉に止まりながら足の先端で植物が出す様々な忌避物質や有毒物質(虫の食害を防ぐための物質)を判別して、それがアブラナ科のものであればそこに産卵するのだという。

さらに、幼虫がえさ不足ならないように点々と産みつけていく、アフターケアも万全だいうわけだ。

凄いなぁ。「その毒、好物だよ!」って子がちゃんといるんだ。

「蓼食う虫も好き好き」という言葉は、結構科学的なんだなと納得。

モンシロチョウは、逆を言えばアブラナ科以外の植物が出す忌避物質などには適応できない。

アゲハチョウは柑橘系の植物だけに産卵するらしいが、なるほど皆しっかり触って確かめていたのか。

忌避物質はその植物にとって、プラスとマイナスを孕んでいるといえる。

今存在する植物と昆虫は、絶妙なバランスでしのぎを削ってきた結果、この世に残っているのだろう。

唱歌に話を戻すと、当初の歌詞は「桜の花の 花から花へ」ではなくて、日本を称える「桜の花の さかゆる御代に」だったという。

それが戦後、国家主義を排除する意図から「花から花へ」と変えられたそうだ。

モンシロチョウがひたぶるに生を全うしているのに比べ、人の心の何とふらふらと頼りないことだろう。

他にも、「赤飯はどうして赤い?」 「門松というのに、なぜ竹を飾るのか」 「お寿司を守るさまざまな植物」など、人の知恵と植物の力の合作といえる話が面白かった。

暮らしと植物の関わりを端的にあらわしているのが旧暦だが、残念ながら今の暦とは一ヶ月以上誤差があるので、七草の中身はスーパーでしか見つけられないし、桃の節句に普通、桃は咲いていない。

実感が伴わない行事が形骸化するのは、仕方がないことだろう。

昔に比べて、植物との関わりは個人差が大きくなっているのかもしれないなぁと思う。

何だかんだ言っても、地球上では植物の方がずっと先輩。植物から学ぶことがないわけがない。