進化とは?

人体 失敗の進化史 (光文社新書)

『人体 失敗の進化史』 遠藤秀紀 (光文社新書)

著者は獣医学博士。遺体と格闘している動物の解剖学者だ。

全国の動物園から声がかかると飛んで行き、例えばオオアリクイやキリンの遺体(死体とは言っていない)から、問題や謎を発見し、同時に答えを模索する。

しかし、元々動物解剖の歴史が浅く、またバブル崩壊以降は時間もお金も全く余裕の無いものになり、直ちに利益の上がらない解剖のような研究は大変困難なものになっているという。

そんな逆風にあって著者は、知の宝庫である遺体を研究し、標本にして未来へ残し人類に貢献する「遺体科学」を提唱しているそうだ。

様々な解剖をしてきた著者は、ヒトについてこう語る。

ヒト科全体を批判するのがためらわれるとしても、明らかにホモ・サピエンスは成功したとは思われない。この二足歩行の動物は、どちらかといえば、化け物の類だ。五〇キロの身体に一四〇〇ccの脳をつなげてしまった哀しいモンスターなのである。

設計変更を繰り返して大きな脳を得たまではよかったのだが、その脳が結局はヒトを失敗作たらしめる根源だったと私には思われる。(p218)

厳しい見方だが、真実だろう。

動物というのは基本的な設計を持つ祖先がいて、その設計図に書き加えたり消しゴムで消したり、設計変更し続けてきたのが今ある姿だそうだ。

どうやらナメクジウオから5億年、継ぎはぎだらけの設計図をもったのが「ヒト」ということになる。

大きすぎる脳の産物として、自らの生存を脅かす核兵器開発や環境破壊がなされたと考えると、まったく皮肉なものだと思う。

すばらしい文化によって精神的な豊かさを享受し、科学の発展の恩恵も十分受けていることは間違いないとしても。

第一章から第四章までヒトの進化が語られて、結局のところ「自分たちが失敗作であることに気づくような動物を生み出してしまうほど、身体の設計変更には、無限に近い可能性が秘められているということだ。(p219)」となる。

著者のテンションは低い‥‥。

ところが終章で、冒頭に書いたような動物の解剖とその困難な現状に言及し始めると、著者は俄然活気に満ちてくる。

文体まで生き生きとしてくるから面白い。この人はこの仕事が好きで好きでしょうがないのだなぁ、と単純に思う。

動物園や博物館は遊園地ではなく、知の現場、研究の現場として復権しなければならないこと。

身体の歴史を明らかにする源泉としての「動物の遺体」を未来へ保存することの意義。

研究を進めるに当たっての困難や無理解と戦っていこうとする決意。

等々、熱く語る著者はとても失敗作とは思えない。その辺のギャップを感じつつ、ヒトというもの改めて考えさせられた。

途中、実はカメにも臍がある。といったことや28日周期の生理の意味、二足歩行ゆえの病気など興味深く、一気に読める面白さだった。