画家だから分かること

秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明

『秘密の知識 巨匠も用いた知られざる技術の解明』 デヴィッド・ホックニー/著 木下哲夫/訳 (青幻舎)

去年出版された本で、兎に角読んでみたかった。

即購入にはちょっと値が張るので、図書館で予約をしたら3ヶ月以上待つことになった。

で、やっと順番が回ってきてたという次第。いや、待った甲斐があったというもの。

優れた画家が、自分の目と手で確かめ、得た仮説。画家ならではの直感、探究心がもたらした衝撃に、世界が注目したのも納得だ。

「秘密の知識」とは端的に言えば、光学機器が映し出した映像をもとに、絵を描く方法のことだ。

フェルメールがカメラ・オブスクーラを使って絵画制作をしていたことは、周知のことだが、ホックニーはある種の光学機器(レンズ、鏡など)が初めて使われたのは、もっとずっと早く、1420年代終わりから1430年代初めにかけて、フランドル地方においてであると特定している。

ルネサンスの巨匠たちを筆頭に、以降ほとんどの画家が、絵画制作に際し光学機器(カメラ・オブスクーラ、カメラ・ルシーダ)を使って絵画制作をしていたという。

目に見えるものを如何に本物らしく二次元に再現できるか、ということでは光学機器が映し出した映像に勝るものは無く、画家はそれを積極的に利用することで、素晴らしい作品を生み出していた。

写実表現の劇的な進歩は、画家の腕前の問題ではなく、光学機器の使用がもたらしたというわけだ。

そもそも、事の発端はホックニーが1999年、ロンドンのナショナルギャラリーでアングルの肖像画を見たことだった。

肖像画の顔は、造作が不思議なくらい「正確」なのに、サイズが不思議なほど小さいこと、また筆の運びも速く、ほとんどは一日で仕上げられていたという。

ホックニーは「いったいどうやって描いたのだろう」そう自問せずにはいられなかったそうだ。

検証の過程で、彼は西洋美術史全体像を把握するための方法として、アトリエの壁に12世紀から19世紀末までの西洋絵画のカラーコピーを(北欧を上に南欧を下に)貼り付けていく作業をした。

完成時には20メートルにもなるThe Great Wall「万里の長城」を作り上げたのだ。

これは本の中で、ページを広げる形で見ることが出来る。とても感動的な眺めだ。

美術史を光学機器の影響という観点から、レンズ以前、レンズ最中、レンズ以後とみることができる。

ホックニーは、カラヴァッジョの絵について、強い陰影(光学機器の使用には強い照明が必要)、彼が全く素描・下描きの類を残していないことなどから光学機器の使用を強調している。「彼はカメラで素描した」とも。

個々に描いた人物や静物などを、画面上でコラージュするようにして、作品を完成させているという。

光学的なカラヴァッジョの作品と、それを模写したルーベンスの絵(目で見て描いた)との「違い」を指摘しているところは、究極的には「人間とは何か」というような問いを含んでいるようで面白かった。

同様のことは、レンズ以後のセザンヌの絵のところでもこう述べていてる。

‥ここには人間らしい多眼の世界(二つの目、二つの視点、それに伴う疑念)が展開している。それとは対照的に、レンズという単眼による独裁の世界(ベラスケス)は、つまるところ人間を数学的な位置に還元し、かれを空間・時間と切り離された位置に固定してしまう。

一連の「秘密の知識」に関する仮説に異を唱える研究者、興味を示す研究者、色々いるそうだ。

あくまでホックニーは画家という立場から、過去の巨匠たちが何を描いてきたかではなく、「どのように」描いてきたかということで仮説を組み立てた。

私には仮説の是非はとうてい分からないが、その仮説にそって美術史を眺めてみると、今まで見えなかったものが見えてきた、というのは紛れも無い事実だった。

「デヴィッド・ホックニー」

http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/hockney/

「カメラ・オブスクーラ」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%A9

「カメラ・ルシーダ」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%80

画家だから分かること” に対して1件のコメントがあります。

  1. kyou2 より:

    >Yadayooさん
    写った映像の上に紙を乗せてなぞるようにして形をとったようです。風景にも持ち運び便利なカメラ・ルシーダを使ったみたいです。
    形をとることって本当に難しいですよね、これは実際に描いてみればすぐ分かることですけれど。花を描いても鉛筆の下書き段階で、大よその出来が見えてくるような気がします。
    正確な形の線描は理性、色をつけるのは情緒や感性、といった感じもします。
    シーレのような感性の線描が出てくる以前の話ですけれど。

  2. kyou2 より:

    >みちこさん
    そうなんですよ。この本の中でも、西洋以外の絵画のことにも触れていて、イスラムやインド、中国、日本などについて言及していました。
    一点から眺める遠近法に対して、絵巻物の動く視点を取り上げていて、これも面白かったですね。
    ホックニーの「万里の長城」の西洋絵画を眺めると、光と影が物凄く強調されていて、対象が明るくて背景が黒っぽい作品がとても多いなと感じます。
    日本の絵画を思い浮かべると、背景がそんなに黒っぽいものなんて、そう無いような気がしましたね。

  3. Yadayoo より:

    原始的な写真技法と絵画とが、まだ分化していなかった時代ではそれほど騒ぐような事柄ではなかったかもしれませんね。当時の写真技術は、写実的なフルカラーの画像が保存できるほどのものではなく、形を映し出す補助道具のひとつだったのかもしれません。スケッチする際に鉛筆を持った手を前に伸ばして、対象の長さにあたりをつける類だったかもしれません。
    技術の進歩とともに映像を保存する写真技術が独立したジャンルに発展し、絵画とは分離してしまったわけですが、当時においては渾然一体としていて、目くじら立てるほどのことではなかったかもと思いました。

  4. みちこ より:

    興味深い仮説ですね。3次元を2次元に。特に、遠近感を正確に捉えることも大きな目的だったというところが。ルネッサンスから離れて、絵画の性質が変わっていっても、どこか、西洋の画家の頭には、常にその義務感というか縛りがあったのでしょうか。彼らが、日本の浮世絵を見て、遠近感の無い絵の存在に驚愕したという理由が少し分かる気がします。ゴッホが日本に憧れた理由も。

  5. kyou2 より:

    >Yadayooさん
    私も正直、ショックでした。でも本当に色々なこと、とてもブログでは書き切れないくらい感じるものがありました。

    絵画の最終目的が2次元での完璧な再現にとどまるなら、写真に勝るものは無いかもしれませんが、絵画史がそれとは違う方向を選んだ時点で、ルネサンスから伝わっていた光学機器を使った描き方というのも、どこかに置き去りにされてしまったのでしょう。
    画家が皆そういう機器を使っていた時代は、それは了解済みの当たり前の行為だったのかもしれません。
    本の中で、ブリューゲル、ボッシュ、グリューネヴァルトは直接の使用が認められないとありました。
    デューラーの正確さに比べて、グリューネヴァルトのデッサンがどこか狂っているような、でも独特な執拗さが魅力だと感じていましたが、なぜだか判ったような気がしました。

    写実的表現を目指した作品で、光学機器の利用は、画家の負担の軽減になることは間違いないようです。
    でも、アングルは機器を利用せずに手探りで形をとることも、もちろんありますし、以前別の本では、アングルは写真は曖昧だから嫌いだと言っていた。というようなこと読んだことがあります。
    今でこそ写真の精度が上がっていると思いますが、当時はそれほど明確な線を獲られるものではなかったような気もします。
    機器はあくまで補助としての役割で、決定的な線を引き、形を捉えていくのはアングル自身の目と手であることはかわりは無いとも思います。
    アングルの油彩画の爬虫類的なデフォルメも、正確なデッサンから発展させ多ところにアングルらしさがあるように思います。
    アングルやレオナルドの素描、デューラーの水彩画等々、機器を利用して描かれたものだとありましたが、作品としての価値が下がるものでも、美術史上の位置が変わるものでもないと思います。

    何だか色々思うこともあるのですが、言葉足らずで上手く言えません。

  6. Yadayoo より:

    この記事を読ませていただいて、背中がザワザワするような落ち着かない気分になりました。もし、それが真実だったら・・・自分のうちに確立していた視点や概念すらが、崩れていってしまう予感がします。それは偉大な画家が生み出してきた精密なデッサンが、じつは目と手だけでない機械にベースをゆだねて、いわば科学技術のたまものという結論になりますからね。優れた才能と厳しい修練の結晶化と信じ、それを目標に絵を描く自分の励みにしてきた部分もあったのに、実は絵というものより写真に近いテクニカルなものだったとは。絵を描くということは何だか不自由な労働のようになってしまいますね。貴重な記事をありがとうございます。本も読んでみたいと強く思いました。

  7. kyou2 より:

    >ワインさん
    >なぜだか絵画の世界では禁句みたいになっているところが、不思議といえば不思議ではあります。

    そういうところありますね。昔は、むしろ機器を使えるということが特権的なことだったと思います。
    ホックニーは、自分で機器を使ってみて、特に簡単なわけではないが、時間の短縮なる。画業を生業とし、アングルほどの人気であれば、時間ほど貴重なものは無いだろうと述べていました。質の高い作品を素早く提供できてこそ、プロなのでしょうね。

    先生のおっしゃること、その通りだと思います。ちゃんと取り組んでいる人ほど、より良い方法を追求していくものかもしれませんね。

  8. ワイン より:

    これはとても興味深い内容で、kyouさんが3ヶ月待って図書館から借りたというの、よくわかります。こういうことに興味のある方は男性に多いかもしれませんね。
    「出来上がった作品がよければ、手段は何でも可。ありとあらゆる材料、方法を試してみるのが良い」という合理的なことを私の先生もおっしゃっていますが、イラストレーションの世界ではそれを言っても許されるものが、なぜだか絵画の世界では禁句みたいになっているところが、不思議といえば不思議ではあります。
    あえてある人たちからみたらタブー視されそうなことを実証したというのはとても面白いし画期的だからこそ、話題になった本なのかもしれませんね。

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