執事という人生

日の名残り (ハヤカワepi文庫)

『日の名残り』 カズオ・イシグロ/著 土屋政雄/訳 (中公文庫)

 

1956年、イギリス。

時の要人が集い歴史を刻んできたダーリントン・ホール。ミスター・スティーブンスはそこで長年執事として采配を振るってきた。

しかし、館の主はダーリントン卿からアメリカ人富豪に変わり、館のあり方も何もかも変わった。

今は新しい主に対する戸惑いを感じながらも、淡々と執事としての日々を送っていたが、思いがけず一人旅に出ることになった‥‥。

この小説は、スティーブンスの旅日誌のように書かれていて、その日その日にあった出来事と、ダーリントン卿時代の思い出が語られている。

その語り口調が、何とも味のある日本語訳になっていて、老執事としてのスティーブンスを余すところなく表現、最初の一ページから彼がどういった人間なのかが見えてくる。

伝統的な職務内容にない任務を受け入れていくのは、十分に理由のあることです。しかし、冗談を言う言わないは、全く次元の異なる問題ではありますまいか。それに、いまこそ冗談が期待されているのだと、瞬時瞬時にどうやったら判断できるのでしょう。うっかり冗談を口にし、次の瞬間その場の雰囲気にまったくそぐわないとわかったときの悲惨さというものは、想像しただけで身の毛がよだちます。 (p25)

私は年配の男性が使う、自信と謙虚さを兼ね備えたような「~でありますまいか。」という言葉が好きで、スティーブンスがこの言葉を発するたびに、「おっしゃるとおりでございます。」と言いたくなってしまう。

偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるような真似は、たとえごろつき相手でも、どんなに苦境に陥ったときでも、絶対にいたしません。 (p60)

先ほどのたとえにもどりますと、まことに下品で恐縮なのですが、少し挑発されただけで上着もシャツも脱ぎ捨て、大声で叫びながら走り回る人のようなものです。そのような人には、「品格」は望むべくもありません。この点でイギリス人は絶対的優位に立っています。偉大な執事のイメージを思い浮かべようとするとき、その執事がどうしてもイギリス人になってしまうのは、至極当然のことだと申せましょう。(p60~61)

実は、彼の一人旅には一つの目的があった。

それは、かつて女中頭として働いていたミス・ケントンに、再びダーリントン・ハウスで働いて欲しいという申し出をすることだった。

その目的を第一に掲げ、旅に出る踏ん切りをつけた形をとったスティーブンスだったが、本当のところは、初めから彼女の意思は分かっていたのではないかと思う。

ミス・ケントンに会いに行くということが、あたかも執事としての任務の一つであるかのような形をとることで、彼は自分を納得させている。

それが何とも律儀というか、どこか微笑ましいく、自尊心と羞恥心の入り混じった彼の気持ちをよく表しているように思えた。

色々な経緯のあった、他ならぬミス・ケントンに再会したいという気持ち。それをストレートに言えない執事としての誇りと照れ隠し。

ミス・ケントンからの手紙には、彼が危惧するようなことは全く書いてなく、再会の理由とするために、著者とスティーブンスがちょっと読者をかついだ、そんな茶目っ気もあるような気がした。

誰でも後悔することの一つや二つ、私はもっとか‥‥あるものだ。だからこの言葉はしみじみと「分かるなぁ」という感じがした。

いま思い返してみれば、あの瞬間もこの瞬間も、たしかに人生を決定づける重要な一瞬だったように見えます。しかし当時はそんなこととはつゆ思わなかったのです。

(中略)

あの誤解もこの誤解もありました。しかし、私にはそれを訂正していける無限の機会があるような気がしておりました。一見つまらないあれこれの出来事のために、夢全体が永遠に取返しのつかないものになってしまうなどと、当時、私は何によって知ることができたでしょうか。 (p257~258)

スティーブンスは、ミス・ケントンとの関係も、けして執事という衣服を脱く事はなかった。

恋愛によって生じる心の混乱を、執事という衣服の中へ逃げ込むことによって回避したことに、忸怩たる思いがあることは否めないように思う。

しかし今はもう、どうすることも出来ないし、お互いの歩んできた道を否定しているわけではない。

彼も彼女も、現在を激変させることを望んではいないのを知っている。

彼はただ確認したかっただけだ‥‥。

思い出ばかりに浸っていてはいけない。この小説のよさは「郷愁」だけに留まらないところだと思う。

ラストの桟橋の情景は、私には黄金色に輝いているように思えた。

日の名残りが美しいと思えなくて、なぜ歳を重ねる意味があろうかと。

スティーブンスの、残された日々を「こうあろう」と努力する姿勢に、執事という人生を全うしようとする気概、人間としての品格とは何かを見たように思った。

それと‥生真面目な彼はきっと、完璧なジョークを新しいご主人様に披露することだろう。

執事という人生” に対して6件のコメントがあります。

  1. kyou2 より:

    >弥勒さん
    女性だって同じ、私も自戒しなければ。特に主婦は独善的になりやすい気もするし。

  2. 弥勒 より:

    >自分が偉いと勘違いする男性って、最低ですね。
    これって結構自分に対する戒めでしたね。
    年下の人達だって、自分より凄いところを持っている人達が大勢います。

  3. kyou2 より:

    >弥勒さん
    そうですね、儒教は公衆道徳教育にとても優れているのかも。
    現在は相当薄れているのかもしれませんが。
    考えてみたら、個人的な品格の形成って、学校教育ではどのようになされていくのでしょうね。
    何だかはっきりとした拠り所が無いような気もします。

    ご職業柄、サービスを受ける側のレベルの低さをお感じになることも多いのでは?と思いました。
    おっしゃるように、サービスを提供する側受ける側双方が、適正な態度をとれることが、その社会全体の品位なのでしょうね。

    そういえば、この前見たテレビで「彼氏のことを嫌だと思うとき」っていうのの上位で、「店員さんに高圧的な態度をとったとき」というのがありました。
    本性が見える瞬間ですよね。自分が偉いと勘違いする男性って、最低ですね。 あっ女性も同じですけど。

  4. kyou2 より:

    >みちこさん
    映画が良さそうなんで、DVDを借りて見てみようと思っています。
    私はこの小説を読んで、しみじみとした郷愁を感じましたが、沈鬱な感じは受けませんでした。そこがとてもよかったのです。
    映画ではどのようなテイストになっているのか楽しみです。

    >人にサービスを提供する人間達が、自分の誇りを持つという習慣があるように思います。
    なるほど、この小説も正にその通りです。サービスの受け手も小さいときから教育される必要がありそうですね。

    スティーブンスは、仕えていたダーリントン卿をこの上なく尊敬していました。尊敬できる主についてこそ職務を全うする甲斐があると考えていたと思います。
    「徳」の高い主に仕えたい、というような事が書いてあって、徳が高いなんてこのごろ聞かないなぁとも思ってしまいました。

  5. 弥勒 より:

    「品格」を形成するってのは、難しいことですね。歴史的には時の権力者の都合の良いように形成されていく。日本の場合、品格の根底となる「道徳」というのは古代中国の権力者にこれが良いとされた「儒教」が基になるのでしょう。「日本の品格」ってのはどうなることや。
    「誇りを持ったサービス」というのももっと教えることも必要ですが、受ける側の品格が無ければ、空回りとか、腹立たしさとかになってしまうし。
    品格の大きなところは「気配りの具体化」でしょうから人間関係の相対的な位置を何処に置くかということになり、特に外国人に対してはまるでわからなくなってしまいます。

    そうそう、渋谷の「クラブ」から朝帰りしてきた若い外国人が言ってました「Japan is crazy」って。

  6. みちこ より:

    非常に有名な小説で、アンソニー・ホプキンスが執事役の映画もとても良い出来だそうですね。
    イギリス人と話していて思うのは、(全く人によるのですが)、良い育てられ方をした人は、品格を常に上位に置いている、ということ。高潔さといっても良いでしょう。
    それと、面白いと思うのは、イギリスでは、乳母もまた、専門の学校を出て、それなりの権威を持った女性があたることが好まれますね。英王室で、初めて、この学校出身の乳母が雇われた、というニュースを聞いたのは、ダイアナ妃がご存命中のことでした。ロンドンのタクシーは、おいそれとなれる職業ではないので、彼らもまた、誇りを持って働いている。
    こういう風に、人にサービスを提供する人間達が、自分の誇りを持つという習慣があるように思います。
    執事といっても、色んなタイプの人がいて、高慢なとっつきにくい人も居るようですが、仕えている主人の人柄が反映することが多いように見えます。よくありますよね。店長が駄目なレストランは、店員がなってない、とか。昔は、役所といえば、よくもこれだけ意地の悪い奴らが集まったものだ、というくらい感じ悪かったしね。
    でも、たまに、どういう主人だろうとも、自分は自分。自分の誇りを捨てない、という使用人も居るわけで、スティーブンスも、このタイプでしょうか。

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