横浜らしさ
みなとみらい線の日本大通り駅の真上、横浜都市発展記念館でやっている「横浜ノスタルジア 昭和30年頃の街角」という企画展を見てきた。
今回は夫も興味があるというので、二人でぶらりと出かけた。
展示は個人から寄贈された写真で構成されていて、貴重な横浜の姿が白黒写真に切り取られていた。
昭和30年代生まれの私には、記憶に残る景色もあるが、小説や映画の一場面のように見える景色もあった。
伊勢佐木町、馬車道、野毛、桜木町、元町、山手‥。
市電、映画館、大桟橋、キング・クィーン・ジャックの塔、中華街、三渓園‥。
50年というのが長いのか短いのか分からないが、よくもまあこれだけ変わったなぁ、というのが正直な感想。
50年経っても、全く変わらない場所や国だって沢山あるだろうに。
市電の記憶はほとんど無いが、運転席の真鍮の取っ手や木の床、長細い座席を覚えている。
そういえば、トロリーバスというのもあった。
同い年の夫は、三渓園が今と違って展示されていた写真のように、海が近かったのを覚えているという。知り合いの年配の方も、そこで貝をバケツに一杯摂ったという話をしてくれる。
ウチの近くの大岡川あたりでも泳いでいたというし、海や川がずっと身近なものだったのだろう。
洋服の生地屋さんの写真も懐かしかった。以前は繁華街に何軒かあったものだ。
伊勢佐木町の映画館もずいぶん無くなった。今はみなとみらいのシネコンが便利だ。
外国の方が写っている写真があるのは、横浜ならではの風景。思い出すと米軍の施設が、結構周りにあった。
夫の中学校では、米軍のかまぼこ兵舎がそのまま物置に使われていたそうだ。
この企画展はとても好評とのことだ。写真集も手ごろな価格だった。もう少し質を上げてもよかったけれど‥。
何より、あるようでなかったこの時代の写真を、資料室に埋もれることなく企画展示してくれたことにとても好感が持てた。
上の階には常設展示もあって、横浜の都市開発の歴史や、生活スタイルの変化が分かる面白い展示がある。
一角に、企画展と同じような写真展示があり、そちらは昭和30年代から40年代のものだった。
私たちにはこちらの方が親しみがあった。反町公園のジェットコースターの写真が懐かしい。
夫婦で時の流れを実感しつつ、お腹も空いたので、これまた随分と細い通りまでお店の増えた中華街へ行った。
「横浜都市発展記念館」
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/
ついでに、
先月、娘の中学校の吹奏楽部が、客船「プリンセス・ダナエ」の入港に際して、大桟橋で歓迎コンサートをした。
乗客の方たちもデッキに出てきて演奏を喜んでくださっていたようだ。
私は大桟橋へ行くのは久しぶりで、娘のおかげでとっても横浜らしさを味わえた。
しかし、その日はキョ~レツな寒さ、海風ビュービューの大桟橋はキツかった!
それで私はインフルエンザになりました。
「プリンセス・ダナエ入港風景」
“横浜らしさ” に対して6件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。
>にしおか
今は、伊勢佐木町よりみなとみらいの方が有名ですね。
新横浜はず~と前、小学生だった頃、貝塚堀りをしにいきましたよ。(どんだけ昔だ!)
>爆撃機の胴体を輪切りにして、下半分を地面に埋めた
妙に納得できるような。私は写真でしか見たことがありませんけれど。
新横浜駅の近くに兄が住んでるので、あちこち案内してもらった事がありますが、いまだに「伊勢佐木町ブルース」とか「赤い靴」とか、歌謡曲や童謡のイメージ(偏見?)が強いです。
かまぼこ兵舎に対しても、「爆撃機の胴体を輪切りにして、下半分を地面に埋めた」建物という、どこにも記述のない間違った知識を身につけておりました。
>ワインさん
何だか昔を懐かしがる歳になったのかと、複雑なキモチではありますが(笑
私は覚えていないのですが、母が元町の生地屋さんで買っていたと聞いています。今はもう無いと思いますけど。
そうそう、ワインさんは自分ですてきな洋服を作るんですよね!
私はこのごろすっかり作らなくなってしまって。高い生地ほど作ったほうがお得なのだけれど。
横浜駅に在った数軒のお店も、いつのまにか洋服屋さんに変身してしまいました。
>みちこさん
水遊びできる川が町中にあって、想像できないですね。
>知人の娘さんが、屋久島に行ったきり、4年間も戻ってきません。
それはそれは。考えると心配なのか、安心なのか分からなくなりますが。
身の回りにどのくらい自然があるのが幸せなのか、個人差があるかもしれませんね。
歓迎コンサートは2度目なんですよ。この前好評だったので、今回も頼まれたんですって。
ホント年配の方たちが多くて、私もいつかこんな旅が出来たらいいな、なんて思いました。
横浜生まれ横浜育ちの人たちにとっては、とくに懐かしく思いでふかい風景をあつめた展覧会ですね。
横浜らしい風景というのがだんだん少なくなってきていますね。
外人がすごく少なくなったし、そういう意味での異国情緒も、昔はとても強かったですものね。
元町あたりには舶来の生地屋さんも多かったのではないでしょうか。今は見当たりませんが。
子どものころ、両親が遊びに連れて行くということがあまり無かった時代なので、色々美しいところがあった筈なのに見ていないのは残念です。私が生まれる昭和35年より少し前、本当に、50年前には、町を流れる川が澄んでいて、魚を取ったり水浴びしていたようです。穏やかな美しい風景ですね。今のどぶ川を見ると、信じるのも難しいですが。
知人の娘さんが、屋久島に行ったきり、4年間も戻ってきません。都会っ子なのですが、横浜に帰ると頭が痛くなるそうです。お金は少しあれば暮らしていけるらしく、風呂は、近くの海岸で温泉がわいているので、勝手に入れるそうです。なんだか、わたしたち、不健康過ぎる生活なのかもしれません。
お嬢さんのブラバン、良い所で演奏しましたね。まあ、お母さんは災難でしたが。ダナエはフランス人の客が多いのですね。お年寄りが多いようですね。さぞ喜んでくれたでしょう。