国芳の洋風版画


『浮世絵春秋』 第2期1号  編集発行/ 江戸錦絵 香津原

歌川国芳の作品に、特異な洋風版画がある。


「忠臣蔵十一段目夜討之図」


「近江の国の勇婦お兼」

長年、国芳がそれらの作品をいずれかの舶来図版を資料として描いているのでは、といわれてきた。
そして2000年勝盛典子氏の「大波から国芳へ - 美術に見る蘭書需要のかたち」という論文で、ついにその原資料が明らかにされたそうだ。
1682年、オランダ人旅行家ニューホフによって刊行された銅版画の洋書、『東西海陸紀行』がそれである。

今回、勝原良太氏がその『東西海陸紀行』を新たに精査した結果、素晴らしいことに国芳の14作品15箇所に同本からの利用を発見されたとのことだ。
その成果が「浮世絵春秋」という冊子に「ニューホフ著『東西陸海紀行』と国芳の洋風版画」として掲載されている。
国芳作品と『東西海陸紀行』の利用箇所が並べられ、一目瞭然。
国芳がいかに西洋の画法を取り入れ、変容させて、浮世絵としての作品にしたのかが見て取れる。
指摘のあった「東都名所・浅草今戸」「近江の国の勇婦お兼」や、「二十四孝童鑑」「誠忠義士肖像」から数点づつ、一つ一つの解説はワクワクするほど面白かった。

中でも「誠忠義肖像」には注目した。2005年に「国芳・暁斎 なんでもこいッ展だィ」で実物を見たからだ。
それほど数はなかったと思うが、「あっ」この絵は見た。とすぐに思い出せるほど印象的だった。
斬新さで群を抜いていて、人物のリアルな表現は今までの浮世絵とは異質の感じがした。
紋切り型の身体の表現ではなく、自然な身体の動きや顔の表情、人体の自然な丸みが感じられる。
今回の発見でなるほどそうだったのかと頷けた。

下の絵は展覧会で見たもので、利用があったとされている絵ではないけれど、テイストは同じ。
飛んできた火鉢をハッシと受ける一瞬の切り取りが、見事。


「誠忠義士肖像 中村勘助正辰」

明治維新に至るまでに庶民レベルで、着々と西洋を受け入れられる下地がつくられていたように思った。
手に取って、目や心で確かめられるほどに。国芳の洋風版画は、充分に近代化の一端を担っていたように思う。

先週、国芳の洋風版画の元が「浮世絵春秋」に掲載されると知り、どうしても読みたくて郵送してもらった。
専門的で私には難しい内容もあったけれど、エッセイや国芳の珍品の紹介などもあり楽しい一冊だった。
本当は現地の展覧会で、国芳作品とニューホフの『東西海陸紀行』が見たかったけれど、名古屋じゃちょっと無理。残念でした。いつか縁があれば‥‥ですね。

「江戸浮世絵 香津原」

http://www.arm-p.co.jp/katuhara/

 

「出版印刷 あるむ」

http://www.arm-p.co.jp/index.html

国芳の洋風版画” に対して2件のコメントがあります。

  1. kyou2 より:

    >monksiiruさん
    「忠臣蔵」おっしゃるように不思議な作品ですよね。これは実物見たことがなくて~。見たいです。
    色味もいいし、静かな風景画ですね。左側の犬が吠えないように餌で手なずけているのが、心憎い演出ですよね。
    暁斎美術館一度行かねばと・・・秋は行きたい展覧会が目白押しですね。

  2. monksiiru より:

    kyou2さん、こんにちは。
    国芳の「近江の国の勇婦お兼」を初めて見たときに、なんと写実的な浮世絵なんだと驚嘆した思い出があります。
    馬描写とダイナミックな構図は西洋画の影響なんですね。
    「忠臣蔵十一段目夜討之図」も不思議な雰囲気の錦絵でブリューゲルの「山中の狩人」みたいなヨーロッパの風景をも連想してしまう不思議な一枚です。

    kyou2さんが国芳を紹介していたので実はびっくりなんです。24日に仕事途中に時間があって川鍋暁斎美術館に行ってました。暁斎も西洋画の影響を積極的に取り入れてますよね。かえすがえす「国芳・暁斎 なんでもこいッ展だィ」はやはり見ておきたかったなあと思うのでありました。

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