展覧会の取り合わせ
「ルーヴル美術館展―古代ギリシア芸術・神々の遺産」を見てきた。
といっても7月に「若冲と江戸絵画展」を見た後に行ったので、ちょっと記憶もあやしいが。
日本美術に頭がドップリつかっていたので、ギリシア美術を見て先ず感じたのは、どれもこれも人、人、人!人間に対する飽くなき追求といった感じで、ややタジタジ。
若冲や琳派の花鳥風月、雪月花といった世界観とはかけ離れた、実に人間中心の世界観だなという印象だ。
あるべき理想の人間、崇高な精神と完璧な肉体、それを一点の曇りも無く讃えて、輝いているようだった。
けれど今回は、圧倒的な大理石像より、様々な形をした壷、そこに描かれた絵の方に好きな作品が多かった。
赤像式クラテル:ガニュメデス ガニュメデスの誘拐
「赤像式クラテル:ガニュメデス」は表に輪遊びをする裸体のガニュメデス、裏に虎視眈々のゼウスを描いたもの。
カッチリとした表面に正確で繊細な線で描かれたガニュメデスは一心不乱に遊ぶ様子が初々しく美しかった。
ガニュメデスを連れ去るゼウスは、西洋絵画で人気の画題だ。昨年のドレスデン美術館展でもレンブラントの「ガニュメデスの誘拐」があったのを思い出した。
ギリシアの神々は人間のお手本だけに終わっていないところが、可笑しいところだ。
大理石の彫刻では、石膏像で見慣れているアルスも彫の精度が雲泥の差で、表面の緻密な肌合は凝縮したパワーが感じられた。
すべすべと冷たそうでアレスの胸の辺りなんか、ちょっと触ってみたくなった。
それと面白かったのは、3Dメガネを掛けて見る立体視映像。ミロのヴィーナスとアルルのヴィーナスのデジタル画像が紹介され、浮き出る感じが迫力満点、楽しめた。
しかし、何となくこの展覧会が気もそぞろな鑑賞になってしまった理由は、人間だらけで疲れてしまったのともう一つ。“さあ見るぞ~!”と思った瞬間、私のケータイに娘の学校から連絡が入った。
この日は特別な猛暑で、ベランダで合奏練習をしていたら光化学スモッグ発生→娘がダウン(まぁ心配ない程度)→保健室入り→涼しくなってから帰宅させる。との事だった。
そんなこんなで、すぐ帰ってもどうしようもないし、とりあえず見ていこうという訳に。
娘が帰る時間までには家に着くつもりだったから、時間的には予定通りだけど…。
そういえば、と思い出したので書いておこうかと。
「ルーヴル美術館展―古代ギリシア芸術・神々の遺産 」
“展覧会の取り合わせ” に対して2件のコメントがあります。
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>ワインさん
>静物画だってそのなかに生と死を暗喩するモチーフが描かれているし・・
そうですね。花は「移ろいやすさ」なんかの象徴ですよね。
植物画は煩わしい暗喩や情を廃してそのものを見ている点、逆に日本人に受け入れやすいのかしらね。ワインさんのコメントを読んでふと思いました。
>ギリシャ神話や聖書がバックグランドになった作品、どれもこれも人間的で私はとても好きです。
私も好きですよ。 彫刻より絵画の方が好きかな。
花にまつわる話も多いし、人から植物への変身譚みたいのって面白いですよね。
西洋文化の芸術作品は、必ず人間がテーマになっていますね。例えば風景画でもどこかに人がいるし、静物画だってそのなかに生と死を暗喩するモチーフが描かれているし、中国や日本の作品のような自然をそのまま美として受け入れるという感性とはかけ離れているのを感じます。
ギリシャ神話や聖書がバックグランドになった作品、どれもこれも人間的で私はとても好きです。日本画は詩で、洋画は散文のような感じかな。しかもかなり長い文章のね。
ゼウスとガニュメデスのテーマは人気なのですか。ふ~ん、なるほど。(笑)