描かれたものを探る 2
『歴史としての御伽草子』 黒田日出男 (ぺりかん社)
前日に引き続いて今度は、歴史史料としてみた「御伽草子」について。
対象となるのは近世に纏められた「渋川版御伽草子」23編。よく知られているところでは『一寸法師』『浦島太郎』『鉢かづき』など。
23編の挿絵を分析し、描かれた個々のものはどのようなコードを持つのかを示している。
絵巻でも多用される「雲・霞」の役割、室内空間と人の位置関係、樹木・草花、異国の表現の仕方など、興味深い内容が目白押し。
挿絵を通して御伽草子というものが、如何に社会秩序や善悪、喜びや悲しみといったものを端的にあるいは象徴的に書かれているのかが分かる。
私は知らなかったのだが、23編の1つに『御曹司島渡』がある。
義経が異国に大日の兵法を求めるべく島を巡り、妻の犠牲や得意の笛の音で困難を克服し、兵法の巻物をゲット、めでたく帰還。という話だそうだ。
この話にはいろいろな要素があるそうで、曰く判官物、異界遍歴譚、本地物、笛の功徳譚(文化の力)、そして特徴的なのは親よりも夫を助けた二世の契りの優越であるという。
親子を一世(現世)の縁、夫婦を二世(現世・来世)の契り、そして主従・師弟関係を三世(前世・現世・来世)の契りといい、中世後期社会から近世初頭にかけて親子よりも夫婦、夫婦よりも主従を優越させるイデオロギーが形成されていったそうだ。
現実にはこれとは全く逆の事実(主従関係より親や夫婦の愛情)も容易に認められるのに、どうしてこのような矛盾する社会秩序が生まれてきたのかは著者にとっても研究課題であると記されていた。
この優先順位には、とても考えさせられるものがあった。
御伽草子の中に浸透している社会秩序や感性は、現代とは隔たりのあるところもあるだろう。
しかし、その違いこそが歴史を生き生きと感じることのできるものであるとも思った。
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>中世後期社会から近世初頭にかけて親子よりも夫婦、夫婦よりも主従を優越させるイデオロギーが形成されていったそうだ。それは大変面白い貴重な情報ですね。現代の社会通念からすると不思議に感じます。とはいっても、ボクは現代のそれが正しい価値観だとはぜんぜん思っておりません。現代はまれに見る特異な時代で、ご紹介いただいた中世後期から近世初頭こそ、折り目正しい品のある価値観を有していた時代と言えるかもしれない、などと感じました。なぜなら、親子の情というのは動物でも持っています(最近、動物の方が親子の情愛を持っているんじゃないかと感ずるのは悲しいですが)。それに比べ、主従・師弟関係は、薫陶を受け社会的に訓練された者しか持ち得ない高度な心情だと思います。現代において、師弟関係のような人に服従するという生き方は流行りませんね。そんな窮屈に身をかがめるようなことは、個性の尊重の時代ですからありえないのかもしれないです。夫婦の関係も希薄と言われて、何かあるとすぐ離婚を考える時代です。謙虚になるとか相手の身になるという姿勢がどんどん姿を消しているように思います。一世、二世、三世の契りと区別して捉えているところ、もっと深い思想があるのかもしれませんが。取り留めなくてすみません。