描かれたものを探る 1
『絵画史料で歴史を読む』 黒田日出男 (ちくまプリマーブックス)
本書によると、歴史の研究というと古文書・古記録などの文献史料研究ということであったが、1970年代ころから文献史料だけが「史料」であるような時代は終わり、それまで関心を払わなかった様々なものから歴史研究がなされるようになったそうだ。
著者は歴史史料としての絵画を「絵画史料」として、それを分析・解読することによって日本史研究を深め、かつ革新している。
では、絵画史料をどのように読むかというと、「絵画コード論」によってということになる。
絵画作品というのは一定の約束事(コード)によって描かれているということに、十分な配慮が必要だと言いたいのです。つまり「絵画史料」の読解にあたっては、そこに表現されているモノやコトが、どのような約束事による記号表現であるのか、ないしはイディオム(慣用表現)であるのかを把握しなければなりません。
描かれているモノやコトを解明していくには、複数の絵画の中に描かれている同じ図像やモチーフの共通性を探り、それらのモノやコトが何であるか明らかにすること。
また逆に文献史料や辞典類によって、そのモノやコトが何であるか見当をつける作業が必要だという。
これらの事を踏まえて述べられた各章はどれも面白いものだった。
・鬼と外交–『吉備大臣入唐絵巻』
異国人・他島人を鬼と見ることについて、持ちモノ違い・場違い表現=驚愕・異常事態(この絵巻の享受者・絵師共通の社会コード)
慌ててトンでもない格好をすることは、今でもよくあることだ。
今のことであれば「ああ、相当焦っているな」とすぐ分るけれど、中世の絵画でそれが描かれていても多分私は見落としてしまうだろう。… 妙に納得したことだった。
・坐法の文化—初期洛中洛外図屏風
様々な身分の人たちの坐り方について。
洛中洛外図は時世粧(いまようすがた)を表しているものだから、風俗の記録写真の宝庫のようなものかもしれない。
描かれている髪型、帽子、履物、動物、植物、乗り物・・・どの切り口で見ても興味は尽きない。
私は洛中洛外図や絵巻物に描かれている一人一人を見るのがとても楽しい。
働いている姿、遊んでいる姿、何かしていたり、ボーとしていたりする人、いつの時代でも人が生きて、死んでそれが続いているのだと実感できる。
また、描かれた人は画面に定着されていて、次々に新しい時代の人に見られるのだと思うと不思議な気もする。
思い出すと、洛中洛外図や絵巻物好きは、中学生の時に東博で見た『一遍上人絵伝』の印象が強かったせいかも知れない。
それは細々とした風俗の描写で、市井の人々の日常がリアルに描かれていた。「あんなトコにこんなコトが描いてある」っていう発見がたまらなく面白かった。
このときの絵巻物展は大変豪華で、『源氏』『伴大納言』『信貴山』『鳥獣戯画』『北野天神』『地獄草紙』『餓鬼草紙』等々国宝級がざっくざく…今カタログを見ると「何でもっと覚えていないんだ」って自分に呆れるほどだ。
あ~あ昔話は歳をとった証拠だなぁ。
話を元に戻すと、絵画史料は実に色々な着眼点を持つことができるという事が分かった。
なぜその装束か?なぜその動作か?その場所、その建物、それぞれ意味があって、それを知った上で同じ絵を見ると別の世界が見えてくる。・・・それが面白いというものだ。
“描かれたものを探る 1 ” に対して1件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。
今日はこちらの記事を読ませていただきました。>あ~あ昔話は歳をとった証拠だなぁ。そうです、そうです。昔話を、さも楽しそうにしていると、人からも歳とったなと言われてしまいます。ご注意です。絵巻物好きは、中学生の頃からですか。ずいぶんおませな中学生だったのですね。ボクなんかそんなもの全く興味なくて、国語嫌い、音楽嫌い、主要科目嫌いで、どうしようもない子供でした。ところで絵画には、その描かれた時代の暗黙の了解事項が、たくさん含まれていること、よくわかりました。そういう了解事項が理解できたら、これは確かに楽しいですね。そういう楽しみ方は、これまで知りませんでした。