詩の話を聞こう
『詩の話をしよう』 辻征夫 (ミッドナイト・プレス)
詩人同士の詩の話。
晩年、辻征夫が山本かずこを聞き手に語った「詩の話」が収められている。
私は詩とはどういうものか、よく分らない。
なので「詩の話を聞こう」と思って読んだが、詩を作るということの厳しさがにじみ出ていて、率直なところ詩作に関わってしまった人生というのは、大変なものだと思った。
どこか、いつも精神の臨戦態勢でいなければならないような、そんな感じがした。
以下、気になったところの羅列。
詩で大事なことの一つは厳密さということなんだね。曖昧なのは詩ではない。詩って、昔はポワーンとしてて、雰囲気がよくてと、なんか誤解があったけど、それは全くの間違いで、はっきりと物事を書くものじゃなければいけない。 (P25)
もっと一篇一篇、考えながら書かないと駄目だと思う。普通は悪い意味に使われるんだけど手練手管って言葉があるでしょう。あれをやらなきゃいけないと思うんだ。どう書いたら言葉は詩になるんだろう。もうなりふり構わずやらないと詩って駄目だと思う。(P32)
「厳密さ」「曖昧なのは詩ではない。」という言葉に、新鮮な驚きがあった。
インスピレーションや感情の垂れ流しを記したものは、詩のようなものであって、詩ではないのだろう。
言葉が詩になる…これは相当ハードルの高いことなのだ。
詩でも絵でも人生でも、兎に角色々やってみる、試行錯誤を疎んだり恐がっちゃいけないのだ。言うは易しいが、なかなか出来ないことだけれど。
縦の軸ばっかりで考えているのはもしかしたら少し違うんじゃないかって思いはじめた。考えてみたら縦の軸ばっかり考えてたけど、ほんとは横の軸もあるんじゃないかって。横があれば斜めもあるんじゃないかって。それも無数にあるんじゃないかって思ったわけ。そしたら、その次に、座標軸自体も一定のところに止まっているんじゃなくて流れているんじゃないかって。 (P23)
これは悟りだなぁと思う。
詩に限らず創作活動をする人にとって、自分を拘束するのは自分であることを強く認識させる一文のように思った。
創作の可能性を追求し続ける辻征夫という人は凄い。これはすぐれた芸術家に共通のことと思う。
才能の問題とか、自分の資質の問題とか、そういう先天的なことは考えてもしょうがない。そう思うことにしてきたね。あればあるんだし、なければないんだろう、と。(P59)
潔いというか、ありがたい言葉という気持ち。救われるな。
才能の有無だけをいったら、人が生きていく意味がないと思う。
「詩の話」の他に、山本かずこ選の「辻征夫詩抄」がのっている。
何年か前に読んだ、私の好きな「風」があったのが嬉しかった。
「蛇いちご」「昼の月」はかなり肉感的だけれど、ウソのように清らかで、そういうテイストが辻征夫なのだなと思う。
「鳥籠」は“まごしろうどの”という一語でがらりと背景と情景が変わって見える。言葉の妙とはこのことだ。
「挨拶」は、結婚する方へ贈った詩。相手に対する愛情と自信に満ち溢れ、人生の一つの頂点を見る思いがした。・・・なんて素敵な挨拶なんでしょうね。
“詩の話を聞こう” に対して1件のコメントがあります。
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トラックバックしていただいてありがとうございます。辻さんと山本さんのこの対談記のエッセンスが見事に要約されていることにとても感心いたしました。自分の場合、机に常に横積して眺めている常備薬のような本ですが、よく再読する箇所は、kyouさんが引用されているところです。とくに、勇気付けられる言葉は、「才能の問題を考えても仕方ない」というところです。先日も詩を一遍(むりやり)まとめましたが、何遍も書いては嫌になり、とてもつらい経験でした。でもこの言葉が推進力となって、前へ進むことができた気がします。「鳥籠」の、まごしろうどののひとだまのような。ボクたちの心の奥にあるものを言い当てていること、読むたび辻さんのすごい才能いや努力を偲びますね。