白妙→白栲

『國文學 色の文芸史』18年2月号 學燈社

記紀、漢詩、和歌、源氏物語などの物語に登場する「色」の意味や感性、思想を解説。

また、高松塚古墳壁画や古代の染色、変わったところでは水墨画の色、クラインブルーなどについても考察があり、興味深いものがあった。

加須屋誠氏の「白と宗教」では、白は色を突き抜けた「光」の表現であるとし、人は「光の国」から色彩的日常を生き、再び光の国へ帰る。その意味で白は「誕生」と「葬送」に深く関わる色であると言う。

『紫式部日記』には、彰子出産に際して中宮自身や女房の衣、屏風、家具調度も白に統一されていた様子が書かれている。

氏は「白い誕生」を生まれた赤ん坊と妊婦を邪気から守り、祝福をもたらすものであるとしている。

面白かったのは「白い葬送」

現在喪服といえば「黒」であるが、これは誤解に基づいたものであるという。

8世紀、天皇が二等以上の親喪の際に「錫紵(しゃくじょ)」を着ると定められていて、この錫紵は「墨染めの色」と理解されていた。

これは遡って中国の皇帝が高位者のために着る喪服が「錫衰(しゃくさい)」であったことに由来する。錫衰とは灰汁で処理した目の細かい麻布のことで、色は黒で無く白である

り、白を基調とした服を着るべきところを誤って解釈されたとあった。

何故、白が黒になってしまったのかは本書に書かれていないので、はっきりしないが…。

一方、鎌倉時代の絵画などをみると庶民階級では、白い喪服が着用され、続く室町時代には武士の間でも白い喪服が着られるようになるとあり、時代や身分によって、白の葬送と黒の葬送があったとしている。

何故現代では黒の喪服ばかりになってしまったのだろう?

想像するに、白い喪服は邪気を祓い無事に極楽へいけるように死装束として死者の方に残り、送る方は平安貴族の黒の喪服「墨染め」「鈍色」が残ったのだろうか。

黒=暗い=悲しみという黒の感情的な面もネックになるのではないだろうか。

『源氏物語』でも、源氏は人の死の直後は、濃い墨染めの黒、時間がたつにつれそれが薄くなり、やがて色を着るようになっていたと思う。

周囲の人々は、その推移を見ることで、悲しみの深さを推量したり、時の流れを感じたりする。細やかな情の表現として印象に残っている。

そういえば白と黒の葬送、典型的な白黒の幕(鯨幕)もあったっけ…。

折角の「色の文芸史」が白黒ばかりになってしまったが、古代染色研究家・金子晋氏による「万葉の色、記紀の色」は面白かった。

紅、茜、橡(つるばみ)など、植物と色、染色と生活が密接にあって、人々の共感が形成されているのが読み取れる。

濃く染まる、色が移ろう、色褪せるという視覚的なことが、生活になじんだ感覚として気持ちに反映されているのが、今の時代には無い豊かさだと感じられた。

 

かの有名な持統天皇の 「春過ぎて夏来るらし白栲の衣乾したり天香具山」

私は「白妙」って書いてあるのしか知らなかったので、白妙が白栲だと初めて知った。

白栲は、楮(コウゾ)類の皮を剥いで、表皮を落とし白皮を灰汁で煮て川で晒し、さらにしごいて澱粉質を搾り出し、石に叩きつける。すると極細の繊維に別れ、これによりをかけて糸にする。その糸で織ったものが白栲だそうだ。

併せて、神事に由来した天皇の言祝ぎの歌、国讃の歌であるとの解釈も細かく書かれていて、なるほどそうであったかと納得。

アレ、また白に戻ってしまった。

學燈社

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