女絵・男絵
「源氏物語絵巻」(12c前半)「伴大納言絵巻」「信貴山縁起絵巻」(各12c後半)は三大絵巻といわれているが、源氏物語絵巻と後者の2絵巻とは描き方が全く違う。
源氏絵巻の作者は藤原隆能とされてきたが、現在は否定的なようだ。また複数の手も見受けられること、人物描写が稚拙であったり、建物の構造に辻褄の会わない所も存在するなど、専門絵師によるものとは考えにくい点が多々あるといわれている。
著者はこれらを「絵画における男女の違い」という観点から検証、作者の特定をしていく。
もともと源氏は女絵、後者の2絵巻は男絵と言われている。
女絵・男絵というのは定義がはっきりしている訳ではないとの事だが、大雑把な特徴は
女絵…色彩重視、色面構成、パターン表現、静止、中間色、理想的、平和的、情緒的
(女性が描くから女絵というわけではない。)
男絵…形態重視、線描、写実的表現、運動、原色、写実・現実的、戦闘的
源氏絵巻は典型的な女絵であり、描き方の手順はまず輪郭線を描き、その中を塗りこめ、そのうえで細部の描きこみをしていく。
これを「つくり絵」と言うそうで、高度な「ぬり絵」ともいえる。
一方、伴大納言・信貴山縁起絵巻は線描で対象を捉え、写実的で躍動感がある。色彩はおさえられ、塗りこめるといった感じは無い。
源氏絵巻とおなじ「筆」を使って描いているといっても前者はペイント、後者はドローイングに重点を置いて使っているのが分る。
「伴大納言絵巻」
著者は、子供の絵の中にすでに男女の違いがあることを指摘し、題材、好む色、描き方を比較している。
印象的だったのは著者が、女の子の描く典型的な絵を「楽園図」といっていること。
可愛い女の子がいて、花が咲き、木が茂り、実がなり、可愛い動物、山、川、家、空、雲、太陽…そういったものが描かれた絵。
対象は平等に描かれ(等価分散型)、色彩豊かで明るい。
女性ならだれでも一度は描いたことがあるような絵。ある仏教学者はそれを「極楽描写の基調」といっていたのが面白かった。
男女の違いと、描く絵の違いをみていくと、源氏絵巻の美しさの秘密、女性に好まれる理由が見えてくる。
社会的な男女の差というのは無くなるにしくはないが、もともとの性差というのはどうなっていくのだろう。中性的な方向へ向かっていくのだろうか。
どう変わるにせよ、楽園図の心を女の子が持ち続けることは、悪いことではない。
女の子が平和な楽園図を描けなくなったら、世界はどんなに暗くなることだろう・・・。
“女絵・男絵” に対して3件のコメントがあります。
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何でも自由に描くとしたら、花、女性、車ですね。それも超リアルなヤツ。近年、車のデザインが気になって仕方ありません。話がドンドンそれていきそうですが、男の視点からコメントを。ズバリ、オトコは群れの動物ですよ。上下関係を測りながら、自分の位置を決めていく。サッカーをやっているみたいなものです。だから空間を把握しなくてはいけないし、策略も要る。それがわからないヤツは弾かれてしまう。孤立した狼は、力も誇示できず、さびしいものです。
動物ひとつでも男の子は模型のようにとらえて描くし、女の子は動物の姿をした人間のようにとらえて描きますね。
男の子にとって、動物の心とか気持ちとかは関心外なのでしょうね。この傾向は動かしがたいですね。きっと大人になっても同じなんでしょうね。男性はいつも構造とか知性の視点から世界をとらえる傾向が強いように思います。
男絵女絵という分類がとても面白いですね。絵巻に限らずそういう分類はできる気がしました。シャガールは、さしずめ女絵になるような気がします。セザンヌは、まあ男絵ですね。世界をゴツゴツした3次元立体の場として捉えるか、あるいは世界を心象風景を表すモヤのかかった2次元スクリーンとして捉えるか、絵を描く上でのスタンスの差のようにも感じました。心象と言いましたが、自分の受けた感動を主体に表現するという姿勢ですかね。その場合、後者のような形式に移っていくように思います。楽園図もそういうことかな、などと。