工芸と書物

「藤田嗣治展」とあわせてすぐ先の東近美工芸館「花より工芸」、国立公文書館「大名 著書と文化」も見てきた。

「花より工芸」で目当ての作品は、吉田良と四谷シモンの球体関節人形。

どちらの人形も作者の世界の住人。この世のもので無いから、こちらも思う存分「妖魔」といったものに浸れる。

以前にも書いたかもしれないが、人形というのは人間の身体をモチーフに「過剰と欠損」のイメージの具現であるように思う。それに個々の作家のエロティシズムが加わって、作者の世界の住人が決る。そんな気がするのだ。

吉田良の「すぐり」は、物憂げなガラスの目に緋色の着物もしどけない。人を惑わす異形の少女。

人に一番似たカタチをもつ人形に、人の情念が肥大し、凝縮された形で表現される。人形とはつくづく業が深いものだと思った。

ただ気になったのは、展示の仕方。

床より少し高いくらいの位置に、足を投げ出して座っているポーズで展示されている為、鑑賞者はしゃがまないとまともに人形の顔が見えない。

さらに欲を言えば、フロアーの中央に展示して四方から見えるようにしてくれれば、コンナ嬉しいことはないのに…。

シモンの「解剖学の少年」は、美少年が自分の胸からお腹にかけての扉をあけて、臓器を惜しげもなく見せてくれている人形。

生々しいが、清浄さがある。

「ほら、僕は人形なんかじゃないんだよ、こんな内臓だってちゃんとあるんだよ。」

そう訴えているようで、健気なような哀しいような。

あと印象に残ったのは横浜にあった幻の名窯、真葛焼の初代宮川香山の作品。

レリーフを貼り付けたような装飾性に富む壷。貼り付けられた写実的な花鳥のつくりに驚く。

窯のあったのは私の自宅と同じ区内。第二次世界大戦で窯が焼失するまで、さかんに輸出されたと聞いたことがあった。

東京近代美術館 工芸館

http://www.momat.go.jp/CG/cg.html

工芸館から竹橋駅に戻る途中で、国立公文書館の「大名 著書と文化」に寄った。

面白そうな企画&入館無料である。入るっきゃない。

なんと立派なパンフレットまでくれて・・。ありがたい。

幕府編纂による大名の家譜(家の歴史)、各大名による殿様の言行録、教訓、戦記、本草・博物学、随筆などなど。

歴史上の人物としてしか思えなかった人物を、同じ時を生きた人が書きとめている。なんというか「確かに生きていたのだなぁ」と実感。

多岐にわたる文献を見ると、記録を残すということの意義と重みがつたわってくる。

また、江戸時代は今よりずっと地方に活気のある、地方の時代であったように思った。

全国的な知的レベルの高さは(これは武士階級に限ったことではないだろうが)、明治維新を迎えるに十分な素地を持っていた。江戸は十二分に時間をかけて「その時」を待っていたのかな、と思った。

国立公文書館

http://www.archives.go.jp

工芸と書物” に対して1件のコメントがあります。

  1. kyou2 より:

    >ワインさん
    >最近のものは作者の自我の暗い部分ばかりがクローズアップされたいやらしい作品が多い感じがしています。
    分りますとても。その感じ。
    あまりに奇怪でグロテスクな形態の人形を見ると、何もそこまで
    と思って、そんな形にされてしまった人形を可哀想に思います。
    全く私の勝手な物言いで、作家の表現であることは分っていても
    どうしても女の生理として受け入れられないものもありますね。
    人それぞれの受け入れの限界の問題なのでしょうが・・。
    それもこれも、やはり人間に近いものなのだからなのでしょうね。

  2. ワイン より:

    いい展覧会に行かれたんですね。
    人形とはつくづく業が深いものだと思った>
    そうですね、人のかわりに業を背負っているようなところがありますね。流し雛の習慣も、人形に人の苦しみや悲しみを託して流すという意味合いがあったと聞いたことがあります。
    創作人形を見るのは私も好きなのですけど、最近のものは作者の自我の暗い部分ばかりがクローズアップされたいやらしい作品が多い感じがしています。
    四谷シモンの人形は純真無垢で、kyouさんのおっしゃるとおり清浄なものを感じます。

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