猫と子供と乳白色の女
先週、東京国立近代美術館の「藤田嗣治展」に行ってきた。
今回の展覧会は、藤田の生誕120年にあたり全画業を紹介したもので、私もなによりそのスタイルの変遷がとても興味深かった。
有名な美しい乳白色の肌を持つ女性像は、やはり実物を見ると本当に魅力的だ。
以前読んだ「黄金背景テンペラ画の技法」(田口安男著)という技法書で、藤田の下地はシルバーホワイトと石膏によるテンペラ下地に近いもの。という記述があった。
こうして近くで見ると、なるほど吸い込みの良い下地で、ギラギラとしない水彩の落ち着きと同時に、さっぱりしすぎない油彩の粘っこさが程好くミックスされているように思った。
一連の乳白色の肌を持つ女性像の中で、好きな作品は「砂の上で」という作品。
裸婦二人と赤ん坊が一人、砂の上に寝転んでいる。
砂の上に無数の貝殻が撒き散らされてヴィーナスと天使のようでもあり、バケツなんかも転がっているところはまるで潮干狩りのようでもある。
一面が例の半透明な乳白色だ。ごく細い黒の線で人物の輪郭がとられ、薄墨で肉付けがなされているだけ。ほとんど色彩は無いのだが、限りなく豊かで、優美だった。
このスタイルの作品郡で際立ったのは黒の色味だった。
背景の塗りこめられた黒、線描の黒、髪の毛の黒、肉付けするための黒、猫の毛の黒等々、それぞれ変化に富んで色としての黒の美しさに惹き付けられた。
私は1930年代に藤田が中南米を旅して、色彩豊かな絵を描いていることを全く知らなかった。
この時期の作品を初めて見たが、パリ時代の繊細でどこかおしゃれな感じとは異なって、実体のある生活感、力強さのようなものがあった。
戦争画を見るのは辛かった。戦争画はやはり特殊な目的の特殊な絵だ。
どの作品も茶色が基調で色彩はほとんどなく、あまりに暗い。
「サイパン島同胞臣節を全うす」という作品は、敗色濃厚におよんで女性達が崖から飛び降りる様子が描かれていた。
見分けがつかないほど暗い画面に、子供が抱く日本人形の色彩が目を引き、画家の意思が見えるような気がした。
戦後、再渡仏してから描き始めたおびただしい「子供」の絵は、実に不思議な絵だ。
どの子供も特定のモデルを描いたものではなく、想像上の子供だそうだ。
妙に大人びたような、気難しげな、それでいて無垢な顔を持つ子供達は、単に可愛い存在ではなく、さまざまな物に興味を示す藤田自身の分身といえるだろう。
独特な広い額の中に、これから芽吹こうとしている知恵がぎゅっとつまっているようで、ちょっと恐ろしいような純粋な賢さがあった。
帰宅してから読み返した上記の技法書で、著者はパリの観衆は外国人の藤田に、クラナッハのような滑らかな質感、古典絵画への回帰を見出したのではないかとあった。
日本人が藤田は東洋画の線と筆で「フジタ」になったと単純に考えては、西洋絵画の根元を見ないことになる。と指摘していた・・・。
「藤田嗣治展」
http://www.momat.go.jp/Honkan/Foujita/
“猫と子供と乳白色の女” に対して1件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。
こんばんは。
藤田が描く子供の絵はちょっと不気味でさえありますね。
奈良美智さんのような子供の恐さがうかがえます。
「子供」と「大人」の違いは西洋ではより明確に
区分されていたのかもしれません。
観に行ったのにまだ記事にしてません・・・