老いの実相
『蝶のゆくえ』 橋本治 (集英社)
現代の人間模様をハシモト氏はこう眺め、小説にするとこうなる。といったところ。
どの話もどこにでもありそうな話だが、そこはハシモト式、一筋縄じゃいかない。
肌触りの悪さ、後味の悪さ、やるせなさ・・・。
6篇の話に出てくるのは、親の自覚の無い親、自分を見失っているOL、幼児のままの19歳、などなど。
漂う魂のゆらぎが『蝶のゆくえ』という表題に重なり合うようだ。
「ふらんだーすの犬」
徹底した傍観者の目線で、一人の男の子が虐待死するまでを描写する。
馬鹿な親が子供を殺すに至る、その過程があまりに一直線に示されていて、怖ろしくなる。
「ネグレクトをするような親はコンナ人間だろっ」というような著者の覚めた目、突き放したような冷たい文章に、この問題に対する著者の怒りや絶望感、幼い者への憐憫が滲み出ているように思った。
正に、昨今の虐待の一典型を見る思い。
死なせるべくして死なせる親もいるのだという現実。そんなものを叩き付けられた気がする。
人間性の荒廃した社会に未来は無いだろう。
「白菜」
故郷に残してきた一人暮らしの母親は、毎年白菜漬を送ってよこす。
そうやって白菜漬に飽き飽きするほど年月が経った。
母親の老いを棚上げにしておいたある日、故郷から母親が怪我で入院したという知らせが届く。
故郷では他人が自分より老いた母親を知っていた。
様々な「距離」をもってしまった両者。母親は自分にとってどのような存在で、これからどう関わりあっていくべきか。
漠然としていたものが、突然ある重みをもって自分に迫ってくる。その当惑。
でも突然のようで、それは突然じゃなく、自然なのだということ・・・。
母親の様子がこわいのは、「老いの実相」を見るのがこわいからだと、皺だらけで白髪頭をそそけさせた母親を見て、孝子は感じた。 (P239)
私の実家は核家族で、祖父母との親密な付き合いというのもなかったので、へんな話、お年寄りとお風呂に入ったことも無かった。
だからヘルパーの資格を取るための実習で、入浴介助をやらせていただいた時は、正直これが老いというものかと、とてもショックを受けた。
こんなことを言うと、何て嫌な奴だと思われるだろうけど、人間の身体は、こういう風になっていくのかと衝撃だった。
ほんとに壊れそうなくらい儚くて、胸の奥が痛くなった。私も「老いの実相」を知らなかったのだ。
最初は驚き戸惑うが、そのうちにそういうものかと慣れる。慣れればこわくないし、親しみも湧く。
兎に角、現実の接点を持たないことには始まらない。関わり合っていくことでしか愛情は生まれてこないと思うから。
実相はもちろん外観だけじゃなく、内面も含めての丸ごとの存在。
人と人の距離はどれだけその人の実相に近づいているかで決まる。
だいぶ小説から話が飛んだかな。
色々な年齢層の話が出てくるが、やっぱり子供と親の話に反応する自分が可笑しい。
20代の恋愛がらみの話は、ちょと、もうね・・・
“老いの実相 ” に対して1件のコメントがあります。
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こんばんは。>漠然としていたものが、突然ある重みをもって自分に迫ってくる。その当惑。>でも突然のようで、それは突然じゃなく、自然なのだということ・・・。この言葉は、事態を言い尽くしてますね。漠然とではあるけれど、来るべきものが何であるか予感している。しかし正面切って向かい会わず、ダラダラ日々を送ってしまう。歯医者に行かなければと漠然とわかっているのに、先延ばししているような感じです。こうやって真実を見ないで、日々老いていくとなるとなんだか堪りませんね。