母と子の絆
『身代わりの樹』 ルース・レンデル著/秋津知子訳 (ハヤカワミステリ)
新進女流作家のベネットは、べストセラーという幸運に恵まれ、瀟洒な町に家を持った。
そんなある日、まだ2歳にもならない息子を突然の病気で亡くしてしまう。
自らも死んだように家に引きこもる彼女の前に、ずっと精神を病んでいる彼女の母親が、同じ年頃の男の子を連れてくる。
・・・・悲嘆にくれる娘のために、彼女の母親は男の子を誘拐してきてしまったのだ・・・
ベネットは幼いとき、母親から虐待を受けていた。けれども彼女は「母親を憎んではいけない」と自分を押し殺し、今に至っている。
彼女は、誘拐してきた男の子を直ちに返さなければと思うが、偶然彼の身体に虐待の痕跡を見つけてしまう。
報道されている男の子の家庭は、とても愛情に溢れているとは言いがたい。
いつの間にか、ずるずると男の子を返すことができなくなっていく・・・
1歳何ヶ月といえばまだほんの赤ちゃんだ、この時期の赤ちゃんと母親は独特な繋がりがあると思う。
私自身の経験からも、幼いわが子は、文字通り血肉を分けた存在。自分の細胞で出来ているのだ、自分の身体から出てきたのだと言う不思議な感覚がある。二人だけの不可侵な特別な世界がある。
この身代わりの子とベネットには血肉の繋がりはないが、彼女は虐待という事実に絆を感じ始める。
この小説は、母と子の奇妙な一体感が核のような気がする。
表題の『身代わりの樹』の原題は『The Tree of Hands』という。小説の中で微妙に形を変え、何度か出てくるコラージュのことだ。
最初は、息子が入院した病院の遊戯室でそれを見つけた。
彼女が「手の樹」と名づけたそのコラージュは、大きな白い台紙に茶色の樹が描かれ、その大小の枝に子供たちが同じ手の型紙で切り抜いた紙を貼り付けたもので、好きなように装飾してあり、例えば刺青を描いた手、爪を塗った手、黒い手茶色い手、骸骨の手など様々な手が枝から生えているようなものだった。
それらの手は樹から伸び出て救済か、自由か、あるいは、たぶん忘却を乞い願っていた。恐ろしいコラージュだった。そこには何か本質的に狂的なものがあった。気がついてみると、彼女はいつの間にか低い椅子から立ち上がって手の樹の間近かに行き、強い嫌悪感を覚えながら魅せられたようにじっとそれを見つめていた。 (P48)
これを読んだとき私は、クリムトの「生命の樹」を思い出した。クリムトの作品は美しく流麗にデザインされた絵だが、この手の樹のように、どこか気持ち悪いような感じがある。
何故だかよくは分からないが。
派手な殺人も、トリックもないが、やはり人間というより「母親」としてのベネットの気持ちの変化が印象に残った。
それは当初の激しい嫌悪とも憎悪ともとれる反応から、もうそれなしでは生きていくことが出来ないくらいに愛するまでの軌跡だ。
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自分の失った物をとりもどしたい、自分の受けた痛みを癒したい、そういう心の奥底から湧き起こる気持ちというのはだれもが持っているのでしょう。
人の心って、複雑で入り組んでいるのですね。善悪だけで分けてしまうことのできない行いというものがありますね。