本の中のサイコ

異常心理小説大全

『異常心理小説大全』 野崎六助 (早川書房)

「多重人格ミステリ・ツアー」から始まり、「シリアル・キラーたちの肖像」、「異常心理小説ア・ラ・カルト」と3つに分けて作品(翻訳ミステリに限定)を紹介。

しかし、著者は流行のサイコというスパイスを振りかけただけのシリアル・キラーものには手厳しい。サイコ・ミステリについて、改めて考えさせれた。

正直、グロテスクで、残虐な殺人のゲロゲロの描写はあまり好きじゃない。

そこんところの描写は必然の範囲でお願いしたい。過激の連続も飽きるし。

私は殺人や異常な行為が、行われる心理に興味がある。さらに、その犯人がいわゆる正常な人間に近ければ近いほど興味がもてる。

どんな人間の心もけして単純じゃないから、誰にでもありえるという点で。

人生のどこかで、何かのハズミで封印していたスイッチが「入」になることだってあるかもしれない、という点で。

そういう人間の心の淵を覗かせてくれるような、人間の怖さを教えてくれるようなサイコ・ミステリを、私は読んでみたいと思う。

社会の病理は還流して気晴らしの読み物のなかに「旬の要素」としてとりこまれる。病理が娯楽物になるとは、それ自体、病理の二乗なのかもしれない。だが、逆に、病理の自浄化作業といえないこともない。人びとが己のビョーキを気軽に咀嚼して自家中毒におちいらないなら、それは強力な免疫力を身に付けたわれわれの健康さのたまものなのではないか。違うだろうか?

少なくとも今は、実際の犯罪の影響として過激なビデオ、アニメ、書籍をあげて、その排除で安心できる時代ではない。

ところで最近、純愛モノを見たり、読んだりして皆が同じように泣く事を前提としているような風潮には、とても違和感を感じる。 

個人的な反応まで、マジョリティを意識しなければいけないなんて。そんなに皆同じがいいのだろうか?

社会の病理の原因の少なからずは、マイノリティを認めないことにあると思う。

排除すべきもの有害なものがあるとすれば、私はこちらの方だと思う。

著者は、パトリシア・ハイスミスをとても評価し、いくつか作品を紹介している。私もハイスミスは好きなので、未読作品を是非読みたいところだ。

ハイスミスは1960年に『愛しすぎた男』で、今で言う「ストーカー」を主人公にしている。

著者はなぜハイスミスが現在を予言するような作品が書けたのかについて、"彼女は「愛の歪み」の普遍性を豊かに綴っただけなのだ。”としている。

優れた作品は、流行とは全く無縁だ。