石礫のように・・・

足摺岬 (講談社文芸文庫)

『足摺岬 田宮虎彦作品集』 田宮虎彦 (講談社文芸文庫) 

収録作品『霧の中』 『落城』 『足摺岬』 『絵本』 『菊坂』 『父という観念』 『童話』

私小説でありながら、ここに描かれている「私」はどこか個の「私」を超えている。

肉親との葛藤、貧困、死、どれも「私」にとって耐え難い悲しみがあるのだが、どろどろとした生々しさはなく、どこか突き放された、波に洗われた流木のような「私」を感じた。

それは己を一つの運命を生きる人、と客観的に見据えたことによるものか、選び抜かれた言葉で書かれた文章の純度の高さによるものか。

『足摺岬』

「私」は漠然と死を意識し、足摺岬へと赴く。しかし、そこで出会った人々の優しさに触れ、「私」は立ち直る切欠をつかむ・・・。

人を癒すことが出来るのは、その人に優しく寄り添ってくれる人の存在ではないだろうか。

ひたすらにその人をいたわり見つめる目、孤独ではないのだ、とその人が感じたとき、少しづつ光が見えてくるのかもしれない。

「私」はどん底で救われ、生きる気力を取り戻した。しかし、その私を救ってくれた女性を「私」は不幸にしてしまう。

人は誰でも、誰かを傷つけることが出来る、そういう業を担っているのだと、愕然とした。

そのことによって「私」は、ますます辛い人生を歩むことになるわけだが・・・。

何故死なねばならなかったのか、何故生きなければならないのか。生と死は表裏一体の儚いものであるかもしれないし、その実強靭なものなのかもしれない。

冒頭文でガツンときて、ドスンと落とされた感がある。この文章を読んだだけで、この短編が抱えているものが見えてくる。

石礫のように檐(のき)をたたきつける烈しい横なぐりの雨脚の音が、やみ間もなく、毎日、熱にうかされた私の物憂い耳朶を洗いつづけていた。病み疲れていたその私も、私がくるまり横たわっている薄い煎餅布団も、指でおせば濁った雨水がじとじとにじみ出そうなささくれだった畳も、すべてが今に白くふやけ、そのまま腐りはててしまいそうであった。  (P103)

雨脚の音をはじめとして、視覚より聴覚の表現が印象に残った。

目を閉じて、視覚を遮断してより心の動きに焦点を合わせた時のような感じ。

雨脚の音、隣の部屋の人の気配、階段の軋み、人の声など、音の表現に「私」の心理状態が如実に現れているように思った。

人の心の深遠を真正面から捕らえた、読み応えのある文学作品だった。