久しぶりに谷崎
『武州公秘話』 谷崎潤一郎 (中公文庫)
武州公は、武勇の誉れ高く、同時に被虐的嗜好の持ち主と知られていた。
彼が尋常でない性癖を持つに至ったには訳があった。
それは、法師丸と呼ばれた幼少時に人質にあずけられていた城でのこと・・
13歳の彼は合戦の経験はおろか、死体すら見たことがない。不甲斐ない事と恥じた彼は、ある老女に相談を持ちかける。
一途な少年の心持ちを思い、老女は彼をある所へと誘った。
そこは、女達が合戦で討ち取った敵の首を、大将の実検に先立ち、血痕を洗い、髪を結い直し、生前に近い状態にする(首に装束をする)仕事をする場所であった。
・・法師丸は、その美女の前に置かれてある首の境涯が羨ましかった。彼は首に嫉妬を感じた。ここで重要なのは、その嫉妬の性質、羨ましいという意味は、此の女に髪を結って貰ったり、月代を剃って貰ったり、あの残酷な微笑を含んだ眼でじっと視つめて貰ったりする、そのことだけが羨ましいのでなく、殺されて、首になって、醜い、苦しげな表情を浮かべて、そうして彼女の手に扱われたいのであった。・・(P50~51)
夜毎通い、ある夜彼は一個の異様な首を見た。
艶やかな髪、男らしい輪郭、しかし・・立派な青年の首に鼻が無い。
「女首」と呼ばれるその首は、合戦中いくつも首を持ち歩けないことから、鼻だけを削いでを後からそれを頼りに首を見つける、そのようにされた首のことだという。
若く美しい女が、醜く傷つけられた首に装束をし、婉然と笑う。
それを見た瞬間に、13歳の法師丸の運命が決まってしまった・・。
美と醜が際だち、生者・強者が死者・弱者に圧倒的な力で迫る。その力に少年の心は震え惑溺する。生涯、この時の快楽を反芻することになる。
全編を通して、この一連の話が随一と思う。
少年の「これは尋常でない邪悪な感覚だ」と自覚しつつも、抗いきれない気持ちが生々しく、混じり気のない純粋さを感じる。
谷崎は、正にここが書きたくてこの小説を書いたようにも思えるほどだ。
『刺青』以来一貫して、美は、強者であり、醜は、弱者であるという絶対的な価値観をこの小説も表しているように思う。
『武州公秘話』の生首から、ふと私の好きな小説を連想して、面白いことに気がついた。
澁澤龍彦『護法』これは、ある男が自分の女房の首と秘かに憧れていた美女の首とすげ替えて貰う話。
川端康成『片腕』は「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」で始まる幻想譚
夢野久作『一足お先に』はブッツリと切断された右足が、一人でぴょこんと立っている・・。
どれも、身体の一部が明瞭な形で浮かび上がる。一つの独立した物体として扱われている奇異と妙な手触り感がある。
モノの力、それによるイマジネーション、理屈ではない何かがそこにはあるように思う。