蓼食う虫も好きずき
『泰西からの手紙』 久世光彦 (文芸春秋)
久世氏がお気に入りの絵をあげ、その絵を核に自由で艶の文章を綴る、美術エッセイ集。
絵の好みさえ合えば、これほど楽しいものはない。
「好み」これがこの本の命とも言える。
久世氏は西洋の絵画が「泰西名画」と呼ばれていた頃の、精緻な、具象の、ひたすら美しいだけの絵画を偏愛してやまない。
・ミレイ「オフィーリア」
・コンスタンブル「干し草車」
・ウォーターハウス「シャロットの女」
・カルデロン「破られた誓い」
・レイトン「ペスセフォネの帰還」
・アルマ=タデマ「銀色のお気に入り」
・シャルダン「葡萄と柘榴」
・モンス・デジデリオ「偶像を破壊するユダ王国のアサ王」
・バーン=ジョーンズ「三人のラッパを吹き鳴らす天使」
・フラゴナール「ブランコ」
・クラムスコイ「忘れえぬ女」
もし、アナタが上記の絵にそそられたのなら、読んで面白いかも知れません。
けれど「げっ、この手の絵か」と思った方は読んでも面白くありません。
氏は、「白樺派」が間違った啓蒙をしたせいで「印象派」偏重の空気が作られ、それが今日まで尾を引いていることに憤りを隠せない。
また、モネを美しいと思うのはいいけれど、モネを美しくないと言ったら、どこかから冷たい石が飛んできそうな気配がある。とも言う。
女と、絵と、詩だけは、人に口出しされたくない。・・・・
-大袈裟かもしれないが、女と絵と詩は、信じられない奇蹟のようなものだ。私たちは、その奇蹟に巡り会うために、人生のほとんどの時間を費やして彷徨(さまよ)い歩くのである。 (P247)
なんとも、この人らしい台詞だなぁと思う。
この本でクラムスコイの「忘れえぬ女」を見て、久しぶりに思い出した。
昭和51年(1976年)の「第二回ロシア・ソビエト国宝絵画展」で初めて日本に紹介されたと書いてあるから、もう30年近くも前のことだが、私はこの人を覚えている。
漆黒の上質な衣装に包まれて、やや傲慢に見下ろす美しい女性。
日本でただ一冊のクラムスコイの伝記は、高校の数学教師であった人が、この絵の絵葉書に魅せられて書き上げたものだそうだ。
クラムスコイ 原題「見知らぬ女」http://homepage1.nifty.com/namakemono/art/kramskoy.html
“蓼食う虫も好きずき” に対して1件のコメントがあります。
コメントは受け付けていません。
この中で実物を見たことあるのはミレイの「オフィーリア」と、クラムスコイの「忘れえぬ女」の2点だけです。フラゴナールは検索したら「かんぬき」の絵が出てきましたね、「ブランコ」は多分見たこと無いと思います。
「オフィーリア」も「忘れえぬ女」も、詩的でとても好きです。・・ということは、この本読む価値あるかも。
私も昔むかし、「忘れえぬ女」に魅せられて、絵葉書買って部屋に飾ってありました。高校生のころかな・・あんまりむかしで思い出せない! 人が何と言おうが一枚の絵にひきつけられ、魅せられてしまったら、それはもう恋愛と同じで「私にとって大切な美」なのです。それをひとにああだこうだと批評されたくない、という気持ち、共感できますね。
>あなたのような絵は虫酸が走る・・とはまた何という言葉!どうせしたり顔のベレー帽かなんかかぶった油絵親父のせりふでしょう。わたしなら蹴飛ばしてやるけど。