ピエロの超越性

ピエロ・デッラ・フランチェスカ

『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』 アンリ・フォシヨン著 原章二訳 (白水社)

編者まえがきによると、本書はアンリ・フォシヨンによる「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」につての公開講義を、フォシヨンの講義メモ、受講生のノートをもとに纏めたものであるという。

また、編集に当たってはフォシヨンの単刀直入な言い方、くだけた調子を出来るだけ尊重したとある。

なるほど、理論的な考察の中にピエロに対する率直な感動、尊敬の念が感じられ、あまり堅苦しさを感じることなく、ピエロの絵画について思いを巡らせることが出来た。

構成は歴史的評価、生涯と作品などの大枠から、徐々に個別の考察、同時代の著作家アルベルティとの関係、透視図法、ピエロの描く人間像・世界像に移っていく。

ピエロと時代環境を述べたところは印象に残った。

ピエロの芸術は多くの点で、時代からほとんど野性の力ともいうべきものをふるって逃れ去っているのだ。ピエロは古代派でも近代派でもなかった。たしかに彼は、イタリア美術の流れのなかの特定の一時期に生まれはしたが、そこに自分に固有のもの、固有でありつつなにかしら絶対的で客観的なものを持ちこんだのである。 (p67)

また、人間像を決定する要因のひとつである、類型、心理表現では、

自然物のように強固な造作をした種族に対するピエロの好みは、つねに変わることがない。彼ら一人びとりはたしかに皆ちがう人物なのだが、全員一致して変わらぬ非個人性を示しているのである。 (P160)

フォシヨンは、内面性から遠く離れたこうした人物は、茫々として謎に満ちており、不動、永遠で、情念の影にいっさい関わることがない平静さがあると述べている。

不安と変化の中にある現代人が、ピエロの人物像に心惹かれるのは、正にそこであるように思う。

時代に迎合したものは、時代と共に去る。

ピエロの堅固な人物たちは、超然と己の世界にあり、浮き世を見下ろしてきたように思えた。

雑記

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