爽快、原始から新古典主義まで
『快読・西洋の美術』視覚とその時代 神原正明(勁草書房)
一見すると参考書的な内容に思えたが、読んでみると、さにあらず。
その時代にある人間の表現としての美術が、実に有機的に書かれているように思った。
対象は、旧石器時代のヴィーナス像から、19世紀前半の新古典主義のアングルあたりまで。
「快読」と銘打ってあるに遜色無しで、興味深く一気に読ませる。言葉遣いも平易で有り難い。
しかし、随所に著者の美術に対する鋭い見識が、ピシッと穿たれていて「うむ」と熟考させられることもしばしば。このような解釈をするのかという新鮮な驚きがあった。
原始の造形のところでは
モノをつくるために道具をつくるという二重構造は、ある発想の転換からはじまったはずだ。それは前進する前に、一歩後ずさりする動作に似ている。そこには何らかの心の余裕があったにちがいない。それがやがて美術作品を生み出す原動力になっていったのだ。 (P12)
ギリシャ美術のところでは
キュクラデスやクレタ文明の意義は、それらがもっている人間的な側面、陽気な一面、敵が来るといとも簡単に攻め滅ぼされてしまうという優しさというか、そうしたヒューマニズムがギリシャに受け継がれたことにある。
ある意味ではギリシャ人が滅ぼしたわけだから、話としては矛盾するのだが、彼らはエーゲ海の島々を攻め滅ぼすことによって、それがもっていた文化を吸収したことになる。言いかえれば武力によって制圧することで、文化によって制圧されたのである。 (P50)
また、17世紀のバロック美術では、カトリック(カラバッジョ、ルーベンスのイタリア・フランドル絵画)プロテスタント(レンブラント、フェルメールのオランダ絵画)ルイ14世様式(ベルサイユ宮殿、プッサン)の3つの流れについて比較しながら明確にその違いが書かれており、大変理解に役立った。
通して読むと、大きな流れが見えてくる。線的なもの・色彩的なもの、ルネサンス的端正や、バロック的放縦が、一方が表層であれば、他方は深層にというように、美術史に交互に表れてくるように思えた。
テンポよく読めて、内容も充実。満足の一冊だった。