徒 然 日 記

04/9/30(木)

『働くことがイヤな人のための本』中島義道(新潮文庫)読了。
ひきこもりの留年生・20代、未婚のOL・30代、惰性で仕事を続けてきたサラリーマン・40代、元哲学青年の会社経営者・50代。4人は皆、働くことに生きがいを見いだせず、何のために生きているのか分からず、諸々のことを悶々と苦悩している。
本書は、そんな彼ら(著者の分身とも言える)と著者との対話形式で書かれている。

とは言っても、生きるか死ぬか切羽詰まった状況での仕事の話ではない。ある程度余裕のある悩みであるとも言える。そのへんから、拒否反応を示す人も沢山いるのではないかと思う。何甘ったれたこと言っているんだ、とか、みんなガマンしてやっているんだ、とかいった類の・・。

第一級の仕事をした人がよく生きたわけでもないと言い、 偶然に生まれ落ちて、数十年で死んでいくということ、その荘厳さはいかなる仕事からも独立である。とも言う。 氏は生きるという仕事以上の仕事はない、と考えているように思う。

「世の中は理不尽」文中何度も出てくる言葉だ。氏は、幼い時から社会との不適合に苦しみ、長い引きこもり生活も体験したが、常に徹底的に考えることだけはしてきた。本書は「哲学のすすめ」とも読める気がする。
欺瞞を許さず、幸福を追求せず、真理を目指す中島氏の対話はユニークで刺激的。ただ、「マイノリティーによるマイノリティーのための」という感じはあるが・・。

苦笑しながらも共感させるところ、逆に反感を覚えるところ賛否両論色々あるが、著者の言葉に嘘や偽善は感じられない。そこがこの人の魅力かな。


04/9/26(日)

『プログラムとしての老い』日高敏隆(講談社)読了。
「老い」ということを考える前に、先ず何のために生きているのか、生まれて育ち、子供を作り、死ぬとはどういうことかを「遺伝的プログラム」という言葉を使って分かりやすく教えてくれる。

動物は、一匹一匹の個体がそれぞれ自分の遺伝子を持った子孫を、出来るだけ沢山後代に残すことを目指して生きている。もちろん人間も例外ではない。
そしてそれは、全て遺伝的プログラムによって決定されている−という。

ドーキンスの利己的な遺伝子説によると、個体は遺伝子のヴィークル(乗り物)であって、体内で遺伝子を生かし、子孫という形で送り出すのが仕事。生き残るのは個体自身ではなくて、個体に宿っている遺伝子。いわば「遺伝子が生き残って殖えたい為に、個体を操って子孫を作らせている」のだそうだ。

そういう遺伝的プログラムの中で、「老い」というものが、どういった意味で位置づけられているのか、読み進むうちに分かってくる。
読み終わると何故か清々しいような気持ちになり、老いも死もそれ程特別なものではないな、という気がした。

しかし、まわりを見ても分かるように、プログラムは一緒でも人はそれぞれ全く違った人生を歩む。結婚する人もいればしない人もいる、子供がいる人もいればいない人もいる。それはプログラムの具体化が違うからだという。
著者は、具体化のしかたはその人次第である、という認識こそが必要であると述べている。
大枠は決まっているが、中身は自由にどうぞというわけだ。折角だから工夫して楽しもう。

本を読んで自分と子供の関係を、もう一度新鮮な目で見なおすことが出来たように思う。


04/9/24(金)

『鏡花幻想譚4』泉鏡花(河出書房新社)読了。
「絲遊(いとゆう)」「眉かくしの霊」「絵本の春」「貝の穴に河童の居ること」の4編収録。

「絲遊」逢い引きに向かう女が、途中、着物がほつれているのに気が付く。針と糸を借りようと路地へ入り込み、老婆と出会った。
男と落ち合って話をするうちに、男もその場所、その老婆の出てくる怖ろしい夢を見たという・・。
鏡花の小説は何とも身をよじりたくなるような、生理的嫌悪感を催させるものがある。鏡花独特の鋭敏な感覚が書かせるのだろう。

「眉かくしの霊」旅情豊かな味わいの怪異譚。主人公の境が泊まる、木曽の奈良井の鄙びたようす、ゾッとするほど美しい幽霊など、何度読んでも引き込まれる。

「絵本の春」 「かしほん」の張り紙がある小路。逢魔が時、少年は誘われるようにやってくる。
しかしそこは江戸時代、血生臭い出来事があった場所なのだ・・
少年は鏡花を彷彿させ、郷愁感が漂う。ラストは「絲遊」同様の不気味さだ。

「貝の穴に河童の居ること」どこかユーモラスで憎めない河童が、人間達に怪我を負わされる。
河童は仕返ししてやろうと姫神様にお願いするが・・
河童言葉の「〜でしゆ」というのが可愛い。「願ひまつしゆ。・・・お晩でしゆ」とか「お姫様、トツピキピイ、あんな奴らはトツピキピイでしゆ」とか「御鎮守のお姫様、おきき済みになりませぬと、目の前の仇を視ながら仕返しが出来んのでしゆ、出来んのでしゆが、わァ、」と駄々っ子のように泣く。
何にも知らない人間が、異界のものたちに翻弄される姿がなんとも滑稽。
情け深く気高い姫神様に、鏡花の凛とした優しさを感じた。

何と言ってもこの選集は、話の舞台となった場所、あらすじ、難解語句の説明などが付いているので、とても読みやすい。背景となる事柄も書かれているので大いに参考になった。


04/9/22(火)

『見る脳・描く脳』岩田誠(東京大学出版会)読了。
前半は、見ること・描くこととはどういうことかを科学的に説明。後半は脳から見た絵画の進化と視覚的思考について。前半は用語も難しくてよく分からなかったが、後半がとても面白かったので表にしてみた(かなり大雑把です)

区分時代画題様式、技法、その他
心像絵画石器時代〜不可視的画題心の中にある3次元モデルを直接描こうとする技法
画題は呪術的、伝説的、宗教的なもの。普遍性
網膜絵画ルネサンス後期〜可視的画題2と2分の1スケッチ(注)の重視。
遠近法、陰影法。網膜像の再現。
写実的絵画
脳の絵画19c後半〜
20c初頭
可視的画題キャンバス上に描かれるものが、網膜画像から、視覚情報処理の
特定のモジュールを強調したものに変化。

色彩モジュール絵画
モネ(印象派):輪郭の認知を省き色彩認知の処理過程を必要以上に細かく分析。
スーラ(点描法):色彩認知のV4野を特異的に活用。しかしV4野は視覚対象の運動を認知できない。結果スーラの絵は、止まったように見える。

運動視モジュール絵画
マルセル・デュシャン「階段を下りる裸婦 No.2」が特徴的。他にはイタリアの未来派。
運動視を認知しているV5野を特異的に活用。

形態視モジュール絵画
ピカソ(キュビズム):視覚情報処理の形態視の機能のみを活用。

空間視モジュール絵画
モンドリアン:視覚情報処理の空間視の機能のみを活用。

文脈的再構成絵画20c初頭〜可視的画題物の大小、地と図の関係など視覚世界の合理性を確認すること
=視覚的文脈。

マグリッド(シュールレアリズム):空間的文脈再構成、形の文脈的再構成。通常の視覚体験に反しているが、描かれたものは2と2分の1スケッチ(写実的)
シャガール:時間的文脈再構成、記憶の文脈的再構成。
視覚体験を離れる絵画WWU以後〜超可視的画題新しい視覚体験の絵画
カンディンスキー(抽象):新しい視覚対象(超可視的画題)が描かれている。個々の作品が、新しい視覚体験を提供。

体性感覚絵画
フォートリエ:モデリングや砂を混ぜる等写真には無い世界。触覚。
ポロック:アクション・ペインティングで制作。運動覚。

(注)2と2分の1次元スケッチ・・観察者中心の視覚情報を視覚対象の2と2分の1次元スケッチという。対象の裏側の情報が得られないので、正確な3次元モデルは得られない。  

著者は画家達の直感が、常に神経科学者の先を行っているということに驚いている。
モネが視覚モジュールを駆使していた時に、科学者は脳における視覚情報処理過程がモジュール構造をしているなど、夢想だにしなかった。
また、視覚と体性感覚の結合という問題に研究者が乗り出したのも、たかだか10年ほど(1997年出版)と書いている。

私はこういう切り口で、絵画を見たことがなかったので大変興味深かったし、納得がいった。
特に「脳の絵画」ではそれぞれドンピシャリで驚いた。日本では似非印象派が多いけれど、この見方で見れば容易に区別が付きそう。

それにしても、天才と呼ばれた画家達の凄さをあらためて認識した。


04/9/15(水)

『花盗人』乃南アサ(新潮文庫)読了。
10編収録の短編集。どれもこれも面白い。登場人物のさりげない会話やしぐさから話は始まり、読み進んでいくに連れ、だんだんとその人物、置かれている状況が見えてくる。ラストはあっと驚かされたり、ゾッとしたり、やはりと頷いたり。
人の心の深い、暗いところにある情や怨や欲や虚・・・それらがそれぞれの作品をおおって、怪夢のよう。著者が、好きな小説として漱石の『夢十夜』をあげていたのも納得がいく。

全体の感想はミステリーというよりは、心理描写の巧みな小説にミステリーの要素が加わったという感じだ。
ストーリーの意外性は正に脱帽。特に「脱出」「最後の花束」のラストは予測が付かなかった。

『独想日本史』高橋克彦(角川文庫)読了。
日本史の常識と考えられていることを、氏は素朴な疑問から斬新な仮説を立て、様々な文献や事実から我々を納得させる。
やはり東北のこととなると力が入る。義経の奥州逃亡の真相、奥州藤原氏の野望、遡って平安王朝、桓武天皇VSアテルイは、『炎立つ』の作者ならではの面白さ。
さらに小野小町の落魄の真相、はたまた伊達政宗が何故、後半生グルメ三昧、食道楽なったのか等々興味は尽きない。

読んでいて、はっとした言葉があった。歴史は新たな発見などで動いているのに、私達は自分たちが15,6歳の時に教わった歴史観をなかなか変えられない・・という話の流れで

“よく、頭が古いなどと若い連中に笑われるが、それは思考が古くなったのではなく、自分のベースとなっている情報が古くなっているのだ。”というもの。
言われてみると、とっても思い当たるので、ちょっと可笑しくなった。

自分の過去の出来事も、現在の目から見てどうなのかと考えていけば、その時々で違った面が見えてくるのだろうなと思った。過去の事実は一つだが、解釈は変わるものだ。


04/9/8(水)

『推理作家になりたくて 第4巻 謀』日本推理作家協会編(文芸春秋)読了。
収録作家は、赤川次郎、高橋克彦、夏樹静子、西村京太郎、松本清張、森村誠一。
高橋克彦の『ねじれた記憶』は、直木賞を取った『緋い記憶』の中の一つ。心の奧に封印された記憶を巡る短編集で、『ねじれた記憶』も幻のような母と自分の記憶を辿る物語。

森村誠一は、笹沢佐保の『赦免花は散った』を選出。「木枯らし紋次郎」が初登場する小説で、テレビで観ていたころを思い出し、懐かしい。あの決めゼリフは無かったなぁ、テレビ用なのかな。

松本清張の『西郷札』は、「西郷札」とそれに関わる事件の顛末。九州の文化史展に展示するために送られてきた「西郷札」と「覚書」。その覚書を書き表したものが小説のストーリーになっている。ラストは興味深く余韻がある。流石松本清張という短編だった。


04/9/5(日)

市立の小学校が2学期制の導入で、8月31日が始業式になったり、浅間山が噴火したりで、あっけなく9月に突入。気が付けば蝉からコオロギへ移り変わっている感じ。

『推理作家になりたくて 第1巻 匠』日本推理作家協会編(文芸春秋)読了。
収録作家は、阿刀田高、佐野洋、柴田よしあき、清水辰夫、乃南アサ、宮部みゆき。
7月に3,5巻を読んだシリーズの第1巻。序で逢坂剛が、このアンソロジーを第一線で活躍中の(一部物故)ミステリー作家が選ぶ、「もっとも好きな他人の作品」「もっとも好きな自分の作品」及び「選んだゆえん」という趣向、と述べている。アメリカには例があるが日本では初めてだそうだ。

乃南アサがよかった。初めて読む作家だったけれど、自薦の『かくし味』が印象に残った。
「みの吉」という老夫妻がやっている飲み屋。常連が集うその店の「煮込み」は絶品。・・しかし常連さんが次々と亡くなって・・
読み終わってう〜ん、旨い!と言ってしまうような面白さ。乃南氏は、好きな作品で漱石の『夢十夜』をあげていた。私はあまり漱石は好きじゃないけれど『夢十夜』好きだ。一番最初に読んだのは、高校の教科書(副教材の方だったかな?)で、へ〜教科書もこんなに面白いのが載っているんだ、と思ったのを覚えている。
もう一つ印象に残ったのが、宮部氏の選んだ今邑彩の『双頭の影』 導入部分が面白いので、書けないけれど、ある男の子が、お寺の廊下の天井に、頭が二つ、手が3本、足が4本の恐ろしい怪物のシミを見つける。そのシミの正体とは・・

また、宮部氏が「選んだゆえん」のエッセイで、作家がアイディアを思いついた瞬間を書いていて、他作家の作品を見る「同業者の目」が面白かった。


8月 10月