徒 然 日 記

04/7/31(土)

『推理作家になりたくて 第3巻 迷』日本推理作家協会編(文芸春秋)読了。
副題にマイベストミステリーとあり、各作家の自薦短編とエッセイを一作づつと好きな作家の短編を一作。三作を一組として纏められているアンソロジー。
収録作家は、岩井志麻子、恩田陸、篠田節子、高村薫、馳星周、山田風太郎、山田正紀。
自薦作もさることながら、各氏お好みの短編作品が興味深い。あこがれ、嫉妬?、共鳴、おのおの個性が滲み出ていて面白かった。
インパクトがあったのは、篠田節子の『青らむそらのうつろのなかに』と同氏が選んだ、西村寿行『痩牛鬼』。ともに飼育されている前者は豚、後者は牛を題材にしている。人間の理性、感情、獣性、醜さ、家畜の悲哀、野生、忠誠心などが生々しく力強く表現されていた。
高村薫の選んだ武田泰淳『ひかりごけ』は、内容は知っていたが読んだことがなかったので、なるほどこれか。と納得。
山田風太郎の選んだ夢野久作『瓶詰の地獄』は、私も久作の中でも大好きな作品の一つ。何度読んでもオモシロク、オソロシイ(久作風カタカナ書き)。久作の短編は一度読んだらちょっと忘れられません。

『推理作家になりたくて 第5巻 鍵』日本推理作家協会編(文芸春秋)読了。
収録作家は、鮎川哲也、泡坂妻夫、北村薫、北森鴻、東野圭吾、山口雅也。
北村薫『ものがたり』と同氏が選んだ木々高太郎『永遠の女囚』がよかった。エッセイで「作品が作品を生む」と自ら書いてあるように正に姉妹のような作品となっていて、読み比べると面白い。私は軍配を北村氏の方に上げるけれど。
北森鴻の選んだ泡坂妻夫『椛山訪雪図』もよかった。騙し絵がキーワードになっていて、北斎絡み。絵の好きな方には面白い作品じゃないかと・・。
山口雅也は自作が『割れた卵のような』で、選んだのがこれまた夢野久作の『卵』。 卵の持つ殻の固さと脆さ、中身の不可思議な生命感と質感が両作品を覆っている。久作の『卵』は悪夢を見るような不気味さ、グロテスクとノスタルジーが渾然一体となって秀逸。
話はちょっと飛ぶが、三島由紀夫の『卵』は、あっけらかんとした珍妙なナンセンス作品だ。

このシリーズは読みやすいし、各作家の傾向が見えてなかなか「便利な」アンソロジーと言えるかも。全巻読んで、お気に入りの作家を捜すのもいいかな。


04/7/26(月)

『魔術はささやく』宮部みゆき(新潮文庫)読了。
父親が幼い頃失踪し、母親も病死してしまった日下守は、東京の叔母の家に引き取られて暮らしている。ある日叔母の夫でタクシーの運転手をしている大造が事故を起こし、若い女性を死なせてしまう。
二ヶ月ほど前に起こった、いづれも若い女性の飛び降り自殺と、電車へ飛び込み自殺。何ら脈絡のない3人女性の死。しかし、それらの死亡記事をスクラップする謎の人物が見え隠れして・・。

守と親戚、友人、先生、職場の先輩とのやり取りがそれぞれ効果的で、人物の個性を浮き立たせ、小説全体を充実させているように思った。
複数のストーリーや、エピソードが混然一体となって、決然としたラストを迎える。守の清々しさが印象的だった。

『子供たちの探偵簿 朝の巻』仁木悦子(出版文芸社)読了。
10短編収録。全て子供(小学校5、6年生)が主人公になり、事件を解決していくもの。
解説で、仁木氏の言葉として「以前から児童文学を書いていましたので、子供を主人公にし、子供らしい話し言葉での一人称を駆使して<大人>向きの推理小説を書くという手法に興味を感じ、自分でも書いてみた・・」とあるとおり、けして子供向きの小説ではない。というより大人も子供も楽しめるといった方が正解だ。実に品のいい、気持ちのいい希有な推理小説といえるのではないだろうか。
字面を見てもひらがなが多く、小難しい蘊蓄や理論はない。しかし子供らしい無理のない推理と子供ならではの細かな観察、機転で、犯人を割り出していくストーリーは、しっかりとした読み応えを感じた。
よかったのは、仲良しの女の子二人に辛い溝が生じる『鬼子母の手』、好きな女の子の幼い弟が誘拐される『恋人とその弟』、妹への屈折した思いが引き金となる『うす紫の午後』

以前読んだ本の中に、小学校6年生くらいというのは、子供時代の完成をみる時期だというようなことが書いてあった。ある意味子供としての見方が完成され、自分の考える範囲で整合性があるのだ。本書はそんな時期の子供たちの真摯な姿があった。
といっても、それはホンの一時の落ち着きかもしれない。後に来る怒濤の青春時代を経て、今度は本当に完成された人間になっていくのだから・・。


04/7/23(金)

『江戸こぼれ話』文芸春秋編(文春文庫)読了。
江戸時代の政治、文化、衣食住などを紹介した本。清水義則、南原幹雄他全18講。
面白かったのは、江戸っ子の食文化。第一に「白米好き」雑穀を混ぜるのを好まなかったので、このためにかえって脚気「江戸わずらい」のもとに。第二に「魚好き」第三に「外食」江戸の男女の比は男が圧倒的に多かったらしい。また一回の食事は小食で、そのかわりちょこちょこと間食をした。そんな時に利用したのが、すし、そば、天ぷら、おでんの屋台。料理屋が豊かな商人・武家用なのに対し、屋台店は、江戸市民の大半を占める長屋住まいの江戸っ子用だったそうだ。
また、忘れてならないのが「初物好き」見栄と意地の張り具合といったところ。“目には青葉山ほととぎす初鰹”は“目も耳もただだが口はたかくつき”となるわけだ。
お留守居役の根回し、意外としっかり契約されてた婚姻関係、隠密・御庭番のことなど、へぇ〜な話が沢山。
絶対的な身分制度の枠組みの中で、分をわきまえ、可能な楽しみを最大限に楽しむ江戸っ子の感性を見習いたいものだ。

『4TEEN フォーティーン』石田衣良(新潮社)読了。
舞台はもんじゃ焼き屋と超高層マンションが奇妙に同居する月島。そこで暮らす今時の4人の14歳、中学二年の男子を巡る青春ストーリーだ。
8つの短編からなり、友達、性、病気、拒食・過食症、性同一性障害、ドメスティック・バイオレンス、アルコール依存症・・現代の私達を取り巻く、難しく重い問題を扱っている。
しかし、どれを読んでも少年達のひたむきさに心が打たれ、清涼感が残る。性に対する(多大な) 好奇心も、ストレートでなかなか宜しいんじゃない? と思わずガンバレ!と言いたくなっちゃうほど。
登場人物の心根の美しさ、優しさ、若さ、お互いを思う気持ちは、現実的で今時の固有名詞をちりばめた描写とは裏腹に、理想的とさえいえる。だがメルヘンだと言って捨てるのも夢がない。
何はともあれ、懐かしく、切なく、美しい小説だった。


04/7/20(火)

『植物の名前のつけかた 植物学名入門』L・H・ベイリー(八坂書房)編集部訳読了。
植物の名前はややこしい。一つの植物が、日本では和名、英名、仏名、学名、俗名等々のいづれかで呼ばれている。
そんな植物の一つ一つに、言語の異なる全ての人が理解できるようにとラテン語でつけられた名前−これが学名というものだそうだ。まぁ逆を言えばいくら見知っている花でも、ラテン語名をだけ言われても分からないということになる。
リンネの偉業、植物標本のこと、また巻末の属名一覧、種の形容詞一覧は大いに興味があった。
たまたま図書館で見かけて借りた本だが、古い著作の翻訳なので、イマイチ分かりづらい。もう少し新しく使いやすい「学名ハンドブック」があれば欲しいのになぁ。

『レベル7』宮部みゆき(新潮文庫)読了。
「明日 レベル7まで行ってみる 戻れない?」不可解な言葉を日記に残して、女子高生が行方不明になる。
一方、知らないマンションのベッドで目覚めた男女。彼らは二人とも記憶がなく、それぞれ腕には「Level7」の文字が書かれていた。
女子高生探しを始めるカウンセラーと自分探しをする男女の接点はあるのか否か・・?調べていくうちに次第に明らかになる記憶、過去・・。
登場人物の言葉の端々や仕草に、本音の感情が滲み出ているような気がする。
宮部みゆきが書くと、殺伐とした内容もどこか人間味や暖かいものや希望を感じるものになる。
それが宮部作品の良いところであり、読みやすいところでもあると思う。


04/7/14(水)

『東京下町殺人暮色』宮部みゆき(光文社文庫)読了。
刑事を父親に持つ八木沢順は13歳。父親と二人、隅田川と荒川に挟まれた下町に引っ越してきた。
ある日、しっかり者の家政婦ハナから、近所のある家で人殺しがあったという噂を聞かされる。
そんな折、荒川でバラバラ死体の一部が発見された。噂話と事件は関わりがあるのか・・

宮部みゆきは、賢くてナイーブな今時の男の子を描くのがほんとに上手い。−というか好みなのだろうなぁ。彼女の小説に沢山登場してくるものね、こういう男の子。

警察の捜査と平行して、順と友達が少年探偵団よろしく捜査に乗り出すのも面白かった。また、古き良き時代の美徳をそなえたハナの存在が頼もしい。こういう知恵と節度を持ったお年寄りって素敵だなと思う。


04/7/11(日)

『上司は思いつきでものを言う』橋本治(集英社新書)読了。
売れている本らしい。橋本治ということとタイトルの面白さで、私も珍しく衝動買いしてしまった。
会社の上司と部下との関係を著者の目を通して図式化したものだが、現実はもっと複雑で曖昧、これほどクリアーに説明できないのではないかと思った。また、氏の設定している会社自体やや偏ったもののように思えた。
しかし、だからといって全くつまらないということではない。私としては上司−部下の関係というより、そこから敷衍し親−子、教師−生徒というような所謂上下の立場が成立するものにあてはめて考えた方が興味がわいた。

最終章で、儒教、官僚制、ビジネスマンが戦国大名を好きなわけ等、歴史に基づいた考察をしているが、ここは流石に面白かった。氏の『ぼくらの資本論』も土地、金、財産を同じく歴史に基づいて丁寧に解説してくれていて、改めて日本史の勉強をし直したような驚きがあった。そんなわけで大部分を占める上司−部下のごたごたよりも、最終章の歴史的見地からの適切な指摘のほうをもっとページ数的にも読みたかった気がした。
また下記は正にその通りと頷いた文章。
「民主主義は能力主義で、人の能力は「均一」ではないのです。「均一」と「平等」をごっちゃにして、「人の能力も平等だ」と言うのはとんでもない間違いです。それは人の「努力」を黙殺するものだからです。」

『クロスファイア 上下』宮部みゆき(カッパ・ノベルズ)読了。
主人公の青木淳子は、生まれながらの超能力者だ。平凡な人間として生きることを否定された彼女は自ら“装填された拳銃”として生きる。正義の実現のため、極悪人に鉄槌を下すことこそ彼女の生きる意味なのだ。
早々に彼女の凄まじい破壊力を見せつけられて、そんな馬鹿な・・こんな荒唐無稽なストーリーを読まされるのか?との思いと抱いた。
しかし、彼女に関わりのある事件を捜査するおばさんデカの石津刑事、いわくありげな牧原刑事ら、魅力的なキャラクターが脇を固め、小説に人間味と現実味を演出しており、また彼女自身の葛藤も垣間見えて、超能力者としての孤独、哀しみ、不幸が強く感じられてくる。

人が神の力を持ってしまった悲劇。人が平凡で、平凡な日常を送れることの幸福を素直に思った。特異なヒロイン像が際だつ小説だった。


04/7/6(火)

『欲望の植物誌』マイケル・ポーラン(八坂書房)西田佐知子訳読了。
人間は植物を食し、愛好し、お気に入りの植物を栽培化してきた。しかし、本当は彼らがこそが主体で、我々を巧みに誘導し自らの繁栄を築いてきたのではないか・・。という植物の側から見た人間との関わりを考察した本。
著者はジャーナリストであり、ガーデニングをこよなく愛する人物で、植物へのアプローチが実にユニークだ。しかも実体験に基づいているので、内容は斬新さと説得力を兼ねていた。
副題に「人をあやつる4つの植物」とあり、
「甘さ」への欲望−リンゴ
「美」への欲望−チューリップ
「陶酔」への欲望−マリファナ
「管理」への欲望−ジャガイモ  と分けられている。 
それぞれ独特の歴史と栽培化への道を持ち、私達になじみの植物だ。リンゴでは、アメリカ大陸にリンゴを広めた伝説的なジョニー・アップルシードの物語、チューリップでは、オランダにおける「チューリップ熱」の狂奔、マリファナでは、ちょっと笑える著者のマリファナ栽培とマリファナビジネスが生み出した驚くべき栽培法、最後のジャガイモは、現実はここまで進んでいるのかという驚愕のバイオテクノロジー・・どれをとっても刺激的で、示唆に富んでいた。

全体を通して種の単一化に対して非常な危機感を抱いていることが感じられ、単一栽培は単一文化の現れではないかとの著者の指摘は当を得ていると思った。

また、何度となく植物とはアポロン的(創造、秩序、管理、端正)なものとディオニソス的(解体、無秩序、放縦、)なものとのせめぎ合いだ、と述べているのが心に残った。
そして花の美しさとはかなさほど、この二つの力の争いを素直に表しているものはないという。
私達が植物に魅了されるのは、人間がどちらの神とも饗宴を楽しみたいからなのだと思う・・。


04/7/2(金)

最寄りの上映館で、ぎりぎり最終日になってしまったけれど、『真珠の耳飾りの少女』を見てきた。
映画館に行くのはほんと久しぶり。ここ何年かビデオで済ますことも多いので、映画館に足を運ぶのはよほど観たい作品のみだ。

言わずと知れたフェルメールの名画「真珠の耳飾りの少女」(通称 青いターバンの少女)、この絵のモデルとなった少女グリートと画家フェルメールとの魂の交歓とでもいうべき映画。

兎に角映像が抜群に美しい。
私としてはストーリーは二の次で、実際ストーリーは大したことなかったと思う(あくまで私感です。)それより「如何にフェルメールの絵の世界を具現出来ていたか」が問題で、その点については文句無く感動した。
色彩、明暗、質感どのシーンを切り取っても完璧。特にアトリエの様子は、フェルメールの絵でおなじみのモチーフがそっくり配置され興味深かった。

グリート役のスカーレット・ヨハンソンのクラシカルなたたずまいが美しい。硬い蕾のような少女から、一気に大人の女性に目覚めるところは力強さ感じた。フェルメールは彼女の魅力に惹かれていくが、即物的な感情ではない。フェルメール役のコリン・ファースのパッションと抑圧の入り交じった表情がエロティックでよかった。
ある意味肉体を求めない愛の方が始末が悪いのだが。

それにしても、若く清楚で美しいグリートと、ヒステリーで子沢山の妻という設定はやや誇張があり、悪役の妻が気の毒な感じがした。実際はそうでもなかったろうに・・


6月 8月