徒 然 日 記

04/6/24(木)

『澁澤さん家(ち)で午後五時にお茶を』種村季弘(学研M文庫)読了。
澁澤龍彦に対する熱烈なるオマージュ。澁澤のよき友人であった著者の思い出話や対談、作品論、澁澤を中心とした交友録などを余すところなく収めた一冊。
なんと言っても澁澤の優れた理解者としての作品論に読み応えを感じた。

コクトー、サドの翻訳から始まり、秘密結社、黒魔術、異端の騎手としての一連のエッセイ。その後にくる、種村氏言うところの「オブジェに転移されたエロティシズム」が顕在するエッセイ。そして晩年の物語群。
私はどちらかというと後半のエッセイと物語が好きだ。特に晩年の物語は、古今東西の博識やら奇譚、オブジェがいっぱい詰まった抽斗から、びっきりのネタをチョイスして作り上げたといった風。『唐草物語』『うつろ舟』は、何回読んでも摩訶不思議だ。もちろん集大成とも言える『高丘親王航海記』は言うに及ばずだが。
また忘れてならない美本『フローラ逍遙』。ボタニカルアート作品と珠玉のエッセイが織りなす、静かで豊かな世界だ。


04/6/19(土)

『アルチンボルド』ジャンカルロ・マイオリーノ(ありな書房)高山宏訳読了。
副題に「エキセントリックの肖像」とあるとおり、本書ではマニエリスムの画家 アルチンボルドの奇矯なスタイルの肖像画を中心に論じている。
文学と美術を比較しながら論を進めていく形式で、マニエリスム文学を読んだことがない身にはツライものがあったが・・
翻訳物の芸術論を読むのは、私にはとても難しいし、何を言っているのか分からなくなってしまうことも多々ある。
でもアルチンボルドを含むマニエリスムの全体像が、少し見えてきたような気がする。
最も印象に残ったのは、ホモ・レトリクス(homo rhetoricus)修辞人間と言う言葉。中庸好きのまじめ人間(homo seriosus)に対するパロディックな他者と言う意味だ。
マニエリスムのホモ・レトリクス=完璧なアーティストであり完璧な「ルーティン職人」、フール、クラウン、トリックスターたちの分裂−言語の名人・・であるアーティストが公的ディスクールに対するカーニバル的逆転に力を貸す・・アルチンボルドをよく言い得ていると思った。
また、バロックとマニエリスムのメタモルフォーゼ(変容)に焦点を当てて比較しているところは、なるほど〜と言う感じだった。


04/6/14(月)

『破戒法廷』ギ・デ・カール(創元推理文庫)三輪秀彦訳読了。
大西洋横断汽船の船内で、アメリカ青年が殺される。自供したのは、目も耳も口も不自由な三重苦を背負った大男、ジャック・ヴォーティエ。
状況証拠と指話法での自白から彼が犯人であるとされ、彼自身も自らが裁かれることを望んでいた。
被告の障害と弁護拒否の姿勢故に、何人かの弁護士が匙を投げた中、ついに変わり者の老弁護士 ヴィクトル・ドリオが国選弁護人に指名されることとなった。
老弁護士は裁判で、外見からは判断できないジャックの心の奥を照らしだし、事件の真実を明らかにしていく・・
障害を持って生まれたジャックの生い立ちと教育、恋愛、結婚、妻となるソランジュとの関係が丁寧に描写されており、理詰めでクールな法廷ものとは一線を画す味わい深い作品だった。

『佐川君からの手紙』唐十郎(河出文庫)読了。
ご存知、実際に起こった猟奇事件の犯人=佐川君から著者に実際に送られた手紙に端を発し、書かれた小説。
本の裏表紙には究極の愛「カニバリズム」とあるが、私の感覚では、愛ゆえの行為というより単に人肉嗜好を実践したような感じを受けた。何故そうしたのかは、そうしたかったから。というくらいの意味しか感じなかった。
全くの虚構作品であったらこの作品を好きになれたかも知れないが・・。
これほどショッキングな事件を、幻想を織り交ぜてにしろ、力ずくで作品に仕上げてしまう唐十郎のエネルギーって凄い。そこに驚嘆した。


04/6/10(木)

用事の合間をぬって、私としては異例の速度で、ダルマホタルブクロを描き上げ、UP。
というか、もう終わりッ!とパネルから紙を切り出した。こうすればもう描けないし。
でも、素早く描くことが出来るようになったということは、ちょっと嬉しい。少しは「見えて」きたのかなと思う。

今にも咲きそうな、ぷっーと膨れた蕾も一つ入れたかったが、そうそう上手い具合に咲いてはくれない。それはそれは可愛いかったのだけれど。
今年はじっくり時間をかけたものを一枚描きたいと思っているのだが、さて何を描こうか?ずっと思案している・・・。


04/6/9(水)

『異端審問』ホルヘ・ルイス・ボルヘス(晶文社)中村健二訳読了。
難しかったので、内容をカバーの見返しに書いてある文言から・・
「時間と夢が織りなす<同一性>のテーマの提示と変奏を、ホーソーン、ワイルド、チェスタトン、カフカ等を論じながら、あるいはまた『ドン・キホーテ』や、ヒトラー、アルゼンチンを語りながら見事につかみだしていく。」

印象に残った箇所は、ワイルドとチェスタトンを比べているところ。前者の作品に貫通する精神を喜びとし、一方、健全さの規範とも言うべき後者の作品を悪夢と紙一重であるとしている。冷静沈着なブラウン神父ものの裏側を見るような気がした。
また、チェスタトンは幼年時代を取り戻そうとしている大人で、ワイルドは悪魔と不運にまみれながら、侵すべからざる無垢を保ちつづけた大人である。とも・・。

もうひとつは、「先駆者」というものから考えた同一性の問題。
「カフカとその先駆者たち」の中で、カフカがロバート・ブラウニングの詩「恐怖と疑惑」から受けた影響を、カフカの物語の予告編であると位置づけして、カフカを知っていれば、この詩の我々の読みは著しく洗練されて変更されることになり、そして当時ブラウニング自身は、今我々が読むようには読まなかったと述べている。
そして(以下引用)「おのおのの作家は自らの先駆者を創り出すのである。彼の作品は、未来を修正するのと同じく、われわれの過去の観念をも修正するのだ。この相関関係においては、人間の同一性とか複数性は全く問題にならない。」
逆説的に聞こえるが、よく考えるとその通りだ。 以前に読んだ例の『バカの壁』、養老先生も「万物流転、情報不変」と述べていた。やはりそのなかで、カフカの『変身』を取り上げていたのを思い出した。

このほかにもホーソーンのある日突然、妻の前から姿を消したが、実は目と鼻の先の隣町で20年暮らしていた男の話『ウェイクフィールド』も相当気になった。近々読んでみようと思っている。


04/6/4(金)

6/2に横浜の開港記念バザーに行って来た。雑貨や食べ物の屋台も楽しかったが、植木市が充実していて思わず気合いが入る。
散々迷ったあげくガクアジサイ、ダルマホタルブクロ、小振りのサボテンを買った。
そんなわけで、昨日からホタルブクロのデッサンをはじめ、今日から彩色をはじめた。私にしてはハイペースで進めているが、それでもデッサンの時には咲いていた花が、今日は萎れてしまっていて・・(T.T)

『R.P.G』宮部みゆき(集英社文庫)読了。
ネット上で、疑似家族の「お父さん」を演じていた所田良介が殺された。
現実に妻と娘のいる家庭を持つ彼が何故そのような家族が必要だったのか。家族とは、親子関係とは何かを考えさせられる。
登場する刑事は『模倣犯』の武上刑事と『クロスファイア』の石津刑事、私はこの2冊読んでいないので順番を間違えたかな?という感じ。まぁさほど不具合はないけれど。


5月 7月