徒 然 日 記

04/12/31(金)

『イコノソフィア 聖画十講』中沢新一(河出文庫)読了。
「イコン」と聞くと先ず想像するのはキリスト教のイエス・キリストやマリアを描いた、どこか不可思議な神々しさを持った聖画ではないだろうか。
しかし中沢氏はイコンを「不可視の、どんな文節的言語によってもとらえきることのできない経験の領域にかかわるものを、眼にみえるかたちや色彩のような五感にうったえる表現のなかに反映させようとしているアーティスティックな活動」と、幅広くとらえている。

一から十講は、「書」にはじまり、マンダラ、動物に変身するシャーマン、天使図、来迎図などで、最後はコンピューターグラフィックとなっている。
形にならないものを形にすることとは?絵画における言葉、意味とは?
イコンが作られ、更に解体されてきた歴史をふまえて、現代の私達がそこにいかなる叡知を見いだしてゆくのか。
問題提起と可能性を感じさせる十講だ。

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今日は横浜でも結構雪が降った。幸い積もるようなことはなさそうだけれど、大晦日にこれほどの雪は珍しいこと。
今年一年、ネットを通して色々な方と実りあるお話をすることが出来ました。あまり交友関係が広くない私としては、本当に嬉しいことです。
優しくもこのHPに来てくださった方、どうぞ良いお年をお迎えください。


04/12/26(日)

『ダビデの星の暗号』井沢元彦(角川文庫)読了。
新進作家・芥川龍之介は、一高で同期だった原田宗助に暗号の解読を依頼される。その暗号は伊達騒動に関するものであり、原田は騒動で逆臣の汚名を着せられた原田甲斐の子孫であるという。
伊達騒動の真相と先祖の名誉回復のために原田と芥川は解読を始める。その最中、芥川は“原田が謎の遺書を残して自殺”との連絡を受ける・・

親交の深かった菊池寛、漱石門下の久米正雄も登場し、豪華なメンバーが揃っている。また暗号解読のために向かった帝国図書館で、芥川に解読のヒントを与えた人物も、なるほど納得といったところ。
時代は大正初期、浅草の凌雲閣でのシーンも盛り込まれており、時代の雰囲気を味わえる。

暗号自体はさほど複雑ではなく、話の展開もスリリングな緊張感にやや乏しい感じがするが、フィクションとノンフィクションを巧みに交錯させ、歴史の真実を推理していく手法はとても面白い。歴史に対する好奇心が喚起される。

氏の江戸川乱歩賞受賞作『猿丸幻視行』も同様に歴史ミステリー。こちらは折口信夫が探偵役だ。


04/12/24(金)

『おはなし おはなし』河合隼雄(朝日文芸文庫)読了。
新聞の家庭欄に連載されたものに、若干筆を加え纏められたもの。心理療法家であり自称「ウソツキクラブ」会長の著者が、子供のこと、大人のこと、外国の昔ばなしから、二十一世紀のおはなしに至るまで、優しく語りかけてくれる。
一話2〜3ページの短さながら、常に生身の人間に関わってきた著者の洞察は鋭く、内容は深い。しかしどの話もゴツゴツとした「教え」ではなく、じんわりと身体に浸み入るような「おはなし」になっている。

例えは、「文学とおはなし」のところでは、山田太一『異星人たちの夏』は、昔話の「うぐいすの里」の消え去る女性のイメージ、阿部公房『砂の女』はハンミョウ追いかけ「砂の穴」に落ちる主人公を「おむすびコロリン」のお爺さんの姿が重なると述べている。
昔から「女・子供」のものとされてきたおはなしは、深い真実を内在させており、だからこそ大人の文学の中にも姿を変えて出てくるのではないかという。
また結びの部分で、これぞ男の仕事と思われてきた、政治、経済、法律の背後にも「おはなし」を見つけだせそうな気がする。というような事を述べていて、ユニークな視点が興味深い。

「鼎談」では、著者が室内楽の三重奏を「対話も二者関係に第三者が入ることにより、質ががらりと変わり対話が立体化してくる」などと思いながら聴いていると、私という存在の内部で、こころとからだとたましいの鼎談も誘発されてくるのを感じる・・とあった。
他でも「こころも体も全体として根づいて感じられるためには「たましい」とのつながりを持つ必要がある。」と述べている。
こころとたましいの違いは何だろう? 個人や、民族、文化の違いによっても固有のもの、普遍のものがあるのだろうか?などと「こころとからだとたましい」は印象に残った。

心の病や悩みは、「悩みを正面から悩むことによって治っていくより仕方がない。」との言は、正攻法で特効薬がないことは一見辛い、だが「悩みがなくて、生きがいのある生活もない」とちゃんと救ってくれる。
つらつらと読んでいるだけで、心が開かれ豊かに活性化してくる。
著者と正面からゆったりと向かい合えるような味わいが、河合隼雄のエッセイの魅力だ。


04/12/20(月)

『植物ごよみ』湯浅浩史(朝日選書)読了。
四季があり植物の種類も多い日本、さらに1200年を遡る「万葉集」にすでに160種あまりの植物が歌われているという。植物は常の私達のそばにあり、生活や心を豊かにしてくれる存在だ。

本書は、1月から12月まで月ごとに数種が纏められている。昔から親しまれている植物の意外な一面や、名前の由来、行事や風俗、歴史文化など興味が尽きない。
例えば・・
4月の「タンポポ」この語源にはいくつかの説があり、その一つは柳田国男の「鼓」から由来したと解くもの。
タンポンポンの鼓の響きからタンポポになったとし、またその形状の類似にも由来している。
タンポポの茎を切り取り、両端に切り込みを入れるとクルリと丸まり、鼓のような形になる。
タンポポは全国に小さな変化を含めると130を越す方言がみられるが、タンポン、タンポコ、タンタンポ、タンタンポポなど鼓の擬音を思わせる名があり、ツヅミグサというそのものずばりの名も福井県に残っているそうだ。

9月の「キキョウ」この別名も面白い。「アリノヒフキ」という。「蟻の火吹き」とは何ぞや?
これが実に鋭い観察眼のもとにつけられた名だという。キキョウの青の色素はアントシアニン系で、酸にあうと赤く変色する。もし蟻が花びらを噛んだら、蟻酸で赤くなり、まるで蟻が火を吹いたように見える。それで「アリノヒフキ」・・なるほど。

植物好きの方もそうでない方も、最初から読んでも好きなところから読んでも、楽しく自然に親しめる一冊だ。


04/12/11(土)

『日本文学の眺望 そのメトード』島内景二(ぺりかん社)読了。
著者は、文学の本質に辿り着こうとして様々なルートからその「方法論=メトード」を考察している。
小説、和歌、神話、伝説の4つに分け、小説では、中上健次・折口信夫・芥川龍之介。和歌では、菅原道真。神話では『古事記』。伝説では『花さか爺』『文福茶釜』を取り上げている。
とりわけ、ページ数こそ少ないが折口信夫の『死者の書』については興味深かった。

「かの人の眠りは、徐(しずか)に覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫と睫とが離れてくる。」

刑死して、二上山に葬られた大津皇子の魂が、50年後に目覚めつつある・・。 この冒頭文で始まる『死者の書』は時間や、空間を超えた一種異様な神々しさを持った不思議な小説だ。
大津皇子の霊魂が、中将姫に当麻曼陀羅を織らせる。著者は霊魂を「芸術的なインスピレーション」だといいう。彼と彼女との間の特別な牽引作用。魂と魂の結びつき。著者はこの小説の主題を「男女の相互救済」であると述べている。

私にとってこの小説は、近年で最も印象に残っている小説の一つ。著者の言葉を借りれば「散文ではあるものの、詩的な情緒を多分に残す『死者の書』の文体は、芸術的な香気を漂わせている。」というもの。

近いうちにまた読もう。何度も読みたくなるような小説があるのは嬉しい。


04/12/5(日)

とうとう師走に突入!・・ってもう5日だけど。11月後半から小学校の行事や、自分自身が新しいことを始めたりで月日がたつのが早い。そう思えるのは取り敢えず順調なのだろう。辛いことや気がかりがあると、それが解決するまでは時間が意地悪く、ゆっくり進むような気がするから。

今日は、絵を二枚と昨日読み終わった本の感想をアップ。
イチジクとサルトリイバラは、机の上に置いて、本当にきれいな秋色だなぁと感心しつつ、楽しみながら描けた。両方ともすぐ枯れたりするわけではないから、いつもよりかはゆったりとした気分。
逆にザクロは、葉がすぐにチリチリになり、焦る。さらに実の一つを割ったはいいが、これがすぐ乾燥し、表情が刻々と変わる。一日じゃとても描けないから、霧を吹いてサランラップをかけておいたら、今度はカビが生えた!・・と、そんなこんなで描き終えたわけで。

吉野弘の詩は、少し前に読んで心に残っていたもので、後半の部分を引用。
ザクロが熟すと自らザックリと割れてくる、グロテスクとも言えなくもない露出を的確に言い表しており、描きながら詩人の鋭い感性を、あらためて実感できたように思う。


04/12/4(土)

『光源氏の人間関係』島内景二(新潮選書)読了。
傑作とされている『源氏物語』は、何故傑作なのか。氏は、4つのルートからそれを探っていくとしている。
1、登場人物の人間関係を掘り下げる。
2、「源氏」に存在する様々な話型(貴種流離譚など)の発掘。
3、感情の伝達手段として和歌を、積極的に取り上げる。
4、上記の3つの見方を総合する視点として「幸福の探求」をあげ、光源氏の人生から有形無形の幸福と不幸を読み取っていく。

光源氏の生涯を誕生、青春、壮年以後と各章に分けて、それぞれの時代で特徴ある人間関係をピックアップ。 中でも、「貴婦人は、恋ゆえに泥濘にまみえる−光源氏と六条御息所」は、今まであまり意識しなかった六条御息所の一面が示されており、興味深かった。

六条御息所は、高貴で教養があり、「もののあはれ」を解する7歳年上の未亡人。年下愛人、光源氏に振る舞いに一喜一憂し、「車争い」では葵の上にプライドを傷つけられる。
苦悩し、果てに生き霊死霊となって光源氏に関わる女君にたたる恐ろしい女性・・このように認識されてることが多いのではないだろうか。
しかし著者は、彼女を他の女君と違って年上であることが強調されている点(庇護者)、また六条院が彼女の土地の上に造営されている点(六条院の守護神)などから、ユング心理学でいう「地母神」ないし「グレートマザー」と見なしている。
私は以前から六条御息所に一番魅力を感じ、何か分からないが、根元的なもの凄いエネルギーに惹かれるものがあった。それはこのような性格のものだったのか・・。しかし表面的にはあくまで主導権は光源氏にあり、耐え偲ぶしかない存在なのだ。

 袖濡るるこひぢとかつは知りながら下りたつ田子のみずからぞうき

「こひぢ」が「恋路」と「泥(こひぢ)」の懸詞。水田に下りれば袖が泥で汚れることは分かっているが、農夫は、生活のためにそうしなければならない。辛いことだ。
それと同じように、光源氏との恋は袖を涙で濡らすことは分かっている。が、それを止めることが出来ない。悶々たる思いの泥沼に入っていく、自分自身を憂う。

グレートマザーとしての彼女が祟るのは女君にであって、光源氏にではない。彼への愛が深いが故に彼には手を出せない。彼の愛する女君を死に追いやって、結果的には彼を苦しめることにはなっても・・。

表題にあるように、様々な人間関係、例えば「古典に数少ない友情のモチーフ−光源氏と頭中将」「春を愛する人と、秋を愛する人−紫の上と秋好中宮」等々興味深いカップリングが目白押し。
物語の人間関係から何を学び、何を感じるか。−少しでも現実の私が深まりますように。


11月 2005/1月