徒 然 日 記

03/6/28(金)

昨日、「ヴィクトリアン・ヌード展」に行ってきた。ラファエロ前派アルマ・タデマの「お気に入りの習慣」が目当てだったが、思いもかけず同じくラファエロ前派のウォーターハウスの聖エウラリアを見ることが出来て感激した。 ウォーターハウスの絵は実際見ると非常に緻密なところと、ラフに処理しているところが絶妙。相乗効果で、ぬるくならない緊張感のある画面になっていた。
アルマ・タデマの方は、板に油絵で、ほとんど板に吸い付くような筆致で、あの独特の大理石の世界を表現していた。本物を見ることが出来て嬉しい。
ヴィクトリア朝時代はヌードに対する目が厳しく、画家は神話等に題材をとることで、ヌードを描き得た。それ以外の日常的な形でのヌードは糾弾された。見る側もそういう神話や英雄譚の建前でヌードを楽しんだわけだ。しかし、ダメといわれればしたくなるのが人情で、しっかりと根付いて発展してきたのは面白い。また草創期の写真も興味深かった。ルイス・キャロルのとった少女の写真は魅力的。
今日は午後から図書館へ、探していた本があってラッキーでした。さあ、これから読む読む。



03/6/26(木)

「炎立つ」弐 燃える北天読了。現在参 空への炎が半ばです。
絵の方は、24日にペチュニアをUP。かなりリキ入れて描いたんだけど・・毎回課題は必ず残る。
今は木立ベゴニアを描いているが、この花って2種類の花が付く。花の後に実のようなものが付くものと、付かずに菊の花のように咲くものと。同じ花なのに形態が全然違う。
私の絵の欠点は、ついつい描き込みすぎること。というか、よく見えて(わかって)いないから、無駄に描き込むのだ。
以前読んだ本で、「わかるということ」について書かれたものがあった。わかるとは“運動”に変換できるというようなことが、書いてあった。頭でどこをどのように描けばよいかを判断し、そのように手か動くわけだ。どのように描けばよいかがわからない限り、手は無駄に白い紙を汚すだけだ。わかれば最短距離で、ポイントを攻略し、仕上がりスッキリ・・と、なかなか絵も日常生活もこうはいかない・・・。



03/6/20(土)

「炎立つ」壱 北の埋み火 高橋克彦読了。久しぶりの長編小説、全5巻。まずは壱を読み終えて、期待が膨らむ。
平将門の乱が平定されて百年をすぎた東北。しかし、くすぶり続けていた火種があった。その火種がついに炎となる−安倍頼良。
“この男が燃やした炎は、これから先、百三十年の永きにわたって陸奥を光の国とした。”プロローグにある言葉に氏の東北に寄せる熱情が伝わる。わくわくの幕開けですね。無能で強欲な陸奥守が発端となりついに戦に突入。制した安倍頼良、貞任親子だが、朝廷は、後任の陸奥守に源氏の総帥、源頼義を任命してきた・・で、ここらヘンはもう「炎立つ」弐 燃える北天 となってます。ということで、続きを読みます。



03/6/18(水)

先月読んだ「魔の王が見る バロック的想像力」の中に言及されていた、「テンペスト」と「タイタス・アンドロニカス」シェイクスピア(白水Uブックス)読了。「タイタス」はあまりに残忍な表現が多い。シェイクスピアというと遙か昔に、「ロミオとジュリエット」「真夏の夜の夢」「お気に召すまま」など数作を、ちらちらっと読んだだけだったので、この「タイタス」には吃驚した。
肉親を殺された者の悲しみと怒り。復讐、負のエネルギーの連鎖。一種人間のエネルギーの源をみる思いがした。「テンペスト」も「タイタス」も兄弟の争いが端を発している。兄弟姉妹とはかくも難しく、悩ましいものよ。
高橋克彦の長編「炎立つ」を読み始める。



03/6/16(月)

「またふたたびの 玉子魔人」高橋克彦(中央公論社)読了。期待通りの面白さ。なんといっても一番の収穫は、氏が熱烈なる“澁澤龍彦”の信奉者であるのがわかったことだ。やっぱりな〜何となく感じていたよ私は。
高橋克彦の文章を読んでいると「ああ、この人、魂のきれいな人だ」と思うことがあって、読んでいて胸が詰まることがある。そういう、大人になっても「きれい」と感じるところが澁澤龍彦っぽい。
う〜んこの人の本、ずっと読んでいこうと思ったね。
あと“異端文学私の十選”が面白かった。乱歩の「パノラマ島奇談」があがっている。納得だ。「孤島の鬼」の方が好きという人も沢山いると思うが、私はパノラマ島だ。氏も“あっけらかんとして明るい文章”と書いておられるが、乱歩が嬉々として理想のワンダーランドを創造していく様子がいい。最後に後腐れ無いところもまたイイ。
さらに夢野久作の「玉子」じゃなくて「卵」。これは不気味で、何とも不思議な作品だ。別のページで、久作を“夢野久作は優れた作家ではない。桁外れな魅力を持った未完成の作家であった。”としているのが印象に残った。



03/6/15(日)

「とめどなく笑う」ポール・バロルスキー(ありな書房)読了。久しぶりにカタイ本だったので、読むのに苦労した。内容は面白いんだけど、途中高橋克彦の誘惑に負けて、超面白い短編を読んだりしたから、もういけない。
でもルネサンスというと何となく理想の優等生的感覚を持っていたんだけれど、滑稽、嘲笑、アイロニーに満ちた世界なのだと教えられた。
読み終わったらすぐ「またふたたびの玉子魔人」高橋克彦(中央公論社)を読み始める、あ〜ぁやたら面白い。



03/6/10(火)

昨日、今日で、「北斎の罪」、「悪魔のトリル」二冊とも高橋克彦(講談社文庫)読了。「悪魔のトリル」がよかった。読んでいて乱歩の影がちらちらした。鞄、抽斗、洞窟、蔵と“入れ物”のイメージが頻繁にでてくる。情感のあるミステリー、幻想譚。
今日から関東も梅雨入りらしい、花を描くのは自然光が一番いい。雨だと部屋に充分な光が入らない、彩色も、つられてついつい暗くなりがち。要注意。



03/6/8(日)

「キルヒャーの世界図鑑」ジョリスン・ゴドウィン(工作舎)読了。アタナシウス・キルヒャー、ルネサンスの博物学者?とにかくいろんな事をした天才だ。特に「シナ図説」が面白い。
澁澤の「高丘親王航海記」の函に使われている絵だ。ミョ〜な絵も多い、空を飛んでいる亀とか・・架空の鳥と亀のイメージがこんがらがったものらしい。ワクワクするような、懐かしいような。なんかいいなぁ。



03/6/7(土)

「東京迷宮考 種村季弘対談集」種村季弘(青土社)読了。ここ30年の対談、鼎談をまとめたもの。詩人田村隆一との対談がよかった。種村氏の話によく戦後の闇市の思い出話がでてくる。だんだん昭和が遙か昔になってくるんだな。東京の街の、人の変化がよくわかる。
色々と事情はあるんだろうけど、常にゼロからのスタートでは、建物なり、町並みなり古くなりようがない。歴史を重ねて美しくなるのが人の住む町の理想、と思うのだが。
今日は図書館に本の仕入れに行ってきた。さぁ、ちゃきちゃき読むぞ。



03/6/6(金)

「バカの壁」養老孟司(新潮新書)読了。新刊本をあまり読まないので、リアルタイムで売れている本を読むのは久しぶり。養老先生はさすがに面白い。イッキ読みだ。
「話せばわかる」は大嘘、からはじまって、学校で教師が個性を伸ばせ、と教えることの矛盾。
万物流転、情報不変。刻々と変わるのは私であって、情報が不変なのだ、ということ。一元論(一神教)をこえて、人間としてはこうだろうという常識を持つこと。等々・・
毎日普通に暮らしていて、時々養老孟司を読むのはいい。一瞬立ち止まって、自分自身や周りを見直すことが出来るからだ。



03/6/4(水)

「知られざる傑作」オノレ・ド・バルザック(岩波文庫)読了。6編からなる短編集。中で「砂漠の情熱」がよかった。エジプト軍の捕虜となったフランス人が、砂漠に遁走する。疲れ果て見つけた洞窟で、夜、そこの主であった雌豹と遭遇する。
あとがきにもあったが、幻想的な透明感は、「セラフィタ」を連想させる。どちらも全くの空想で、異郷の地を書いているそうだ。砂漠にライオンがいるアンリ・ルソーの絵が浮かんだ。



03/6/2(月)

「物語のウロボロス」笠井潔(筑摩書房)読了。副題に日本幻想作家論とある。久作、十蘭、乱歩、虫太郎ら、9名。面白かったのは、つい最近読んだ国枝史郎とその正当な後継者たる半村良のところ。半村良はまったくの未読。
「石の血脈」が取り上げられていたがとても面白そう。記述で、幻想小説を支える幻想性には、二つの大きな流れがあり、第一はキリスト教以前のケルト的なもの、第二はギリシャ、ペルシャ、アラビアなど当方からの影響で秘境的なもの。正統キリスト教の「魔女狩り」の対象は前者、異端審問の対象はは後者。「石の血脈」でいえば吸血鬼、狼人、巨石信仰は前者、暗殺教団、アトランティス伝説、サンジェルマン伯は後者の要素。とあった。妙に納得した。9名の最後を飾るのが何故か、村上春樹だった。



5月7月